投稿日: Jul 29, 2013 12:24:43 AM
デジタルはライブラリ化には強いのだが…
電車の中でマンガ週刊誌を読んでいる人を見つけると「オッ!珍しい!」と思ってしまうほど、マンガ週刊誌は見かけなくなっている。一方eBookを読んでいる人は電車の中で割りと見かけるようになってきた。紙の雑誌を読んでいるのは中年以上のオッサンである。以前はマンガ週刊誌は家の中で親子2世代に読まれているといわれたもので、その子の世代が今の中年のオッサンに相当するのだが、その子供となると紙媒体は継承せずにスマホ世代になってしまったようである。しかし若い人もコミック本はまだ買っているようである。コミック本は週刊誌のような読み捨てではなく、気に入ったものは自分の部屋にライブラリ化して残して、繰り返し見ている。
つまり雑誌は新作紹介のイロイロ盛り合わせメディアであって、ファン獲得はコミック本という役割分担ができているのであろう。紙媒体はある一定のページ数を束ねているために、いろんなコンテンツで埋め合わせなければならない。レコードにおいても、アナログの45回転盤の場合は表裏2面があって、ヒット曲の裏には話題にならなかった曲が抱き合わせで入っていたりする。しんみりした曲の裏には軽快な曲が入る場合も多い。つまりピンポイントのマーケティングが出来ない代わりに、セレンディピティという探しているものとは別の価値あるものを見つけることを触発することがアナログ媒体には多い。コマーシャルもそうした仕組みの中で機能してきた。
しかしiTunesで楽曲を買えば1曲単位で買えるために、セレンディピティによる広がりはない。YouTubeなど過去の視聴傾向からオススメを出すものも、やはり似たものが並ぶ傾向が強く、意外性と出会う機会は減っていると思う。実際には多種多様なものが見つけようと思えば見つけられるのは、本屋の立ち読みとネットの検索やアフィリエイトは同じなのであるが、雑誌という紙の束の中に強制的に同居している様子は、なかなかデジタル+ネットでは再現し難いようだ。
コミック本のような気に入ったものをライブラリにするという点では、デジタル+ネットはたいへんうまく機能していていて、何々全集・全何十巻といったものでもすごくとっつきやすくなっている。CDにおいてもボックスセットで付加価値をつけて売るスタイルがあるように、コアファン向けのライブラリ的販売というのは電子書籍の新たな市場になるだろう。
電子雑誌においては、先は見え難いのが現状だ。それは広告モデルが成り立ち難くなっただけでなく、紙のような強制セレンディピティをどうやったら実現できるのかが、まだわからない面があるからだ。限られた画面の中に、読者が見たいものを楽しんでいる途中で、全然異質なものを表現すれば嫌がられてしまう。YouTubeの開始前広告などでも、どう考えても嫌がられているとしか思えない。
お店のBGMやJukeBoxのように、意図しないのに聞こえてくるような、そんなコンテンツの出会いをデジタルメディアで可能にすることができれば、電子雑誌の再定義になるのだが。