投稿日: Feb 18, 2014 1:9:12 AM
メディアだけが新しくなることはない
ニュースをベースにオピニオンと娯楽性を複合したマスメディアに対する批判があるが、批判がある方が健全な状態で、社会のバランスを保つ上では批判がなくなる方が怖いことだ。批判にはいろいろあろうが、理性的で健全な批判が1割くらいはなければ、それも社会にとって危ういことになる。残念ながら世の中のことを真剣に考えて議論できる人はどこの国でも1割も居るかいないかなのだろう。
そういう人のためのメディアが日本では確立していない点は心もとない。新聞というメディアは世界的に見ると大衆紙というゴシップなどが中心のものは多部数売れるにしても、オピニオン系の新聞は限られた人しか読まないものなので、日本のように何百万部も売らなければ新聞社が存続できないような状態ではオピニオン紙には成り得ないのである。
大阪の橋下さんの大阪都構想という問題提起は、我々の暮らす社会を我々自身が設計するための議論のきっかけとして非常によいものだと考えたのだが、残念ながら議論としての進展はあまりないようにみえる。これは大阪だけの話ではなく、長らく懸案であった道州制に通じるものであり、日本全体という大きな政府に対して、どのようにローカルな小さな政府を作っていくかということでもある。これを早急に進めるというのではなく、100年くらいかけて議論する必要があり、その過程で過去の日本の見直しや評価がいろいろ出てくる問題であろう。
日本には日本の国土の広さ・狭さや他国との国境の接し方の特徴があるので、行政や外交はその特徴を踏まえて考えなければならず、どこかよその国の真似をして済まされる問題ではない。過去の王政や独裁者の時代とは異なって、民主主義の時代の特徴は国民が社会の在り方を話し合えるところにあるのだから、個々の選挙の勝った負けたの繰り返しではなく、長期的に日本のコンセンサスを作っていく活動が必要であるが、既存政党は目先の利権問題ばかりしているのでオピニオンリーダーにはなることができなかった。
むしろ地方都市の方が政党に振り回されるのを嫌がって、無所属の首長ばかりになったし、名古屋や大阪は地域政党を作って既存政党の影響を受けないようにブロックをしている。しかし地域政党から日本全体への情報発信はうまくできていないように思える。日本維新の会はまだ寄合所帯の色が強く、外部に統一見解を発信できるような状況にはないのかもしれない。
名古屋や大阪にとっては地元の行政のテーマが第一ではあろうが、自分達で地域社会を改革するに際しての考えや地元との議論をもっと公にして、他の地域にも議論が波及するような方向に行けば、日本全体としても「1票の格差問題」や、道州制なり政府の役割なりについての理解が国民の中に根付いていくであろう。
しかしそういった議論をマスメディアが担うことにはならないであろう。新たな議論とともに新たなメディアが登場するのではないかと思う。
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