投稿日: Aug 12, 2013 1:42:35 AM
直流発電を見直す
発明王エジソンは19世紀末に電力事業を始めるが、当時の電気の用途というと電灯とモーターなので、直流100Vを提供する方法をとった。なぜ100Vかというと、それが電球製造にとって最もふさわしい電圧であるということで、如何に電球という用途が重視されたかがわかる。直流方式は当時は電圧変換が出来なかったので、100Vの電球をつけるためには発電所も100Vを送り出さなければならなかった。しかし実際には電線中の抵抗によるロスがあるので、それを見込んで110Vを送り出すということが行われた。
詳しくは調べていないが、アメリカの電灯線が今でも117V仕様なのは、当時の事情が残っているのだろう。それはともかく、あまり長距離を電線でつなぐと電圧はどんどん下がるので、それを防ぐには電線を太くしなければならず、コストがかかる。それを避けるために発電所と需要地は1.6kmまでにするとか、読んだことがある。
ところが電力事業にライバルが現われて、ウエスティングハウスは交流の発電・送電をするようになった。この場合は発電は高電圧で行って送電すれば、それを受ける地域ごとに適当にトランスで電圧を落として使えばよく、電圧の調整が容易になる。それに伴って細い電線でも高電圧にすれば送電のワット数を稼げるというメリットがある。
エジソンは高電圧の危険性を訴えて交流送電をやめさせようとした。エジソンの直流100Vは通常ちょっと触れたくらいでは人が死ぬようなものではなかったからである。しかし交流をあつかうことのフレキシビリティがいろんな面で勝利して社会に広く受け入れられて、直流送電は電鉄など限られた分野に押し込められた。エジソンは電力事業で失敗したのである。
しかし今は電車も交流があり、車両の中で直流に変えてモーターを回している。これは半導体の進歩で交流と直流の相互の変換が容易で効率よく行えるようになったからである。日本では新幹線が交流の電車の最初だったように思う。エジソンは自分がいろいろ発明した電気の用途に関してはよく考えたのであろう。例えば電球には100Vがよいとか。しかしそれはその当時の技術の制約の中での話であって、電気の応用は天才エジソンの想像よりも遥かに広範に広がっていくことを彼は考えなかったのであろう。
一方で交流の発送電を事業家した側は用途は限定せずに、電気はあらゆる人に必要なものだと考えて、何処にでも電気を供給しやすい方法として交流に取り組んだのであろう。その結果としてエジソンのようにローカルな発電を沢山行うのではなく、高出力を集中的に行って、それを送電網で遠くまで運ぶ方法が社会インフラとして整備されるようになった。その延長上に原子力発電もある。
今日の代替エネルギーのことを考えると、エジソンの直流主義を再評価したらよいと思う。過去の欠点であった電圧が変えられない点は、今インバータ式変換が何にでも内蔵されて行われているように、もはや難点ではなくなった。また電球100Vというのも今はこだわる理由が無い。むしろ広く自動車に使われている12V直流を家やモバイルでも使える様にすれば、家電の利用局面は広がるかもしれない。ソーラーパネル、風車、水車、メタンガス火力などなど身近な発電で12Vのバッテリーに電気を溜めるスマートグリッドが、最も費用がかからない方法ではないかと思う。