投稿日: Jun 10, 2015 12:46:46 AM
私は高校までは読書家であったのだが、寺山修司の「書を捨てよ、町に出よう」に感染して、自分の生きている時間を書に費やすよりも、エクスペリエンスを積むべきだという宗旨になってしまった。その後も実際は書籍を読まなくなったわけではないが、本が外部から受ける刺激のトッププライオリティではなくなった。あくまで予備知識とか参照とか、直感や行動を補完するものへと本の位置づけが変わってしまった。
若い頃は自分が死ぬまでもっとも大切にしなければならないものは何かと考えていた。美学・芸術学という専攻でもあったので、自分にとってはそれはお金でなく、書架でもなく、直感力であると思った。田舎のどこにでもあるような風景の中でも、何かビンビン感じることができたら、新鮮な毎日を送れると思って、田舎で暮らしてみたり、また工場の騒音の中で単純作業に埋もれていても、きっと何か感じることができるだろうと思って、随分そういうアルバイトもした。
そんな具合で仕事は月給さえもらえれば何でもよかったのだが、結果的には人に指図されて働くことよりは、自分で背負い込んで試行錯誤するような仕事が中心になって、それが支えられたのは直感に頼っていたからだと思う。これは恋愛に似ていて、失敗もあるのだが、論理的な価値判断をするよりも前の時点で、心にピピッと来るものがあるかどうかをまず判定してから、論理のステージに進むわけで、このトレーニングをしていると、新しいことをする上でのリスクは割と減っていった。
書籍がインスピレーションをもたらす場合もあるが、それは読者の思い込みかもしれない。紙媒体では臨場感はないので、現実への応用は遠いのである。別に書籍に文句を言っているわけではないのだが、同じ様なことは「テレビを捨てよ、町に出よう」といってもいいし、「インターネットを捨てよ、町に出よう」ともいえる。要するにこれらはメディアに囲われて虜になっている時間は、自分は死んでいるので同じであるという宗旨なのである。
とはいってもデジタルメディアが豊富な情報をもたらすために、メディア接触時間は結構長くなってしまった。だからこそリアルな場での直感はなおさら重視すべきであると思う。
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