投稿日: Nov 18, 2015 1:49:40 AM
私が社会に出た頃の日本は、今でいうブラック企業は当たり前の時代であったので、しっかり働こうという気にはさらさらなれなかったが、いろいろ転職しているうちに前職の研究調査の仕事に辿りついた。その組織の創立者は亡くなるまでに叙勲を2回されたくらい、社会貢献というのを自分の会社に於いても、また業界活動においても重視されていた。また中央官庁や大学の先生とも広く人脈をお持ちだった。そんな環境での研究調査の仕事だったのでいろいろ勉強させていただいたことは多かった。
自分が矢面になって仕事をしなければならなくなった時に、最初に思ったのは師となるような人が必要だということで、当時のその分野では日本の第一人者にアプローチをしていった。個人的には音楽や美術が関心の対象だったので、そういう世界は誰かに師事することで自分を伸ばすものなので、それが自然に思えたからである。当時、仕事にかこつけて親子ほど年の上の人にセミナーや執筆を依頼しながら定期的に逢う機会を作っていって、月に1度くらい食事をするようなことをしながら、自分の知らない世界を勉強していった。そこで得たことを直接仕事に利用することは無かったが、何年か後に役立つということは大いにあった。
編集者という仕事も似た面があって、偉い人に会うことが容易であるし、わりと自分の考えに近い成果物を作ることができる。私は編集もすることがあったが、メインは事業を起こすことだったので、やはり事業の支障にさえならなければ自分の考えに近づくように外部の協力者を選んでいたし、ビジネス以外に社会性とか社会貢献という要素も重視していた。
もし前職場の創業者のような人が居ない組織だったり、師事するような人がいなければ仕事に熱は入らなかっただろうなと思う。
現実の仕事では今期の成果を求めらることが主で、皆それにあくせくしていて、誰でもビジョンとか中期的な方向とかの指標無しに右往左往して人生を終わるのは嫌なのじゃないかと思っていたが、実際のところ右往左往だけの人生で平気な人は沢山いるのかもしれないという気がする。それなら土日まで仕事をしようとは思わないだろうし、仕事に直接関係ない師なぞ要らないだろう。しかしそういう世界では人は使い捨てなのではないかと思う。
企画系の仕事の場合は、自分が思い描いたことに対して、実際に実現可能なことは非常に限られてしまうことが多い。予算や期日や、またクライアントがそこまで要求しない、などの理由による。でも自分が思い描いたことはいつか実現したいと感じ、別の仕事の機会に少しづつ実現を試みる。
師とする人にも過去からビジョンや課題を自分の引き出しに溜めこんでいるので、それを弟子は受け継いでいくのである。つまりビジネス的には終了したり切れてしまうものでも、実は世界のどこかで引き継がれているということも、師をもってわかることなのである。
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