投稿日: Oct 08, 2014 1:50:56 AM
今年のノーベル物理学賞が青色LEDであることで、なぜかノーベル賞がすごく身近なものに思えた。青色LEDに限らず、LEDそのものとか半導体材料全般に日本では優れた研究・製品が数多くあって、青色LEDはそれら半導体開発の氷山の一角のようなものだ。トランジスタの開発はアメリカが中心で、ゲルマニウム→シリコンと進んだが、それらの限界を超えるために別の材料を使った新機能の開発に日本の戦後の若い企業は傾注した。
新幹線もパワー半導体のおかげでできたようなもので、こういう大きな仕事は日立・三菱・東芝などが得意としていたが、ソーラーパネルとかLEDとかはシャープやもっと小さいメーカーでもやっていた。青色LEDを中村氏が開発した日亜化学も徳島の電気関係ではない会社だった。徳島には今では別に窒化ガリウムLED専門のベンチャー企業もある。要するに日本にはこの分野を手掛ける裾野が広いという特徴がある。
日亜化学の当時の社長は有名な人物で、日亜化学そのものが蛍光灯の材料では高い技術をもった世界最大手の会社であった。電気会社ではなかったが蛍光灯からLED照明への移行をビジョンとしてもってLEDに参入したのだろう。社長は中村氏を見込んで何億も投資をした。そのようなことは他の会社ではできなかったという点では、ここで青色LEDが開発されたのは当然であるし、青い光と黄色の蛍光物質で白色光を出すという研究ももっとも得意とすることであっただろう。こういった開発環境があったところに中村氏の努力が重なって青や白のLEDはできた。中村氏は後に業績の対価を会社に要求するようになるのだが、これは未だにすっきりしない問題である。
LEDは最初は豆球のような用途に使われていたが、スタンレーが非常に明るい赤を開発し電球の何十分の1の電力で長寿命安定なものとなったことから、赤いランプに代わる信号とか照明の分野で使いだされていて、将来は一般的な光源になることを多くの日本人が感じていた。しかしアメリカのように蛍光灯も日本ほど普及していない国では、照明のイノベーションなどを考える人はあまり居なかったのだろうと思う。
個人の必死の貢献がなければイノベーションは産まれないこと確かであるが、そのイノベーションを必要としている社会があってこそ、発明や改善は進むのであろう。両者はは暗黙の関係があって、何となく多くの人が感じるものの、国の予算とかには無関係なものが多い。過去のノーベル賞でも多くの場合は国が音頭をとった研究とはかけ離れている気がする。
別の見方をすると、日本人の関心が高いとか得意である分野は国の介入はあまり要らないのかもしれないし、不得意の分野は金では解決しない動機づけが難しい何かがあるといえるかもしれない。
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