投稿日: Feb 04, 2016 12:40:49 AM
前世紀はメディアの世紀ともいえ、マスメディアが社会を覆って、人々の意識を左右するようになった。またそういったバイアスから自由になろうとする「メディアリテラシー」という意識も芽生えた。
そういった既存メディアは凋落ぶりばかりがニュースになるが、その理由は何かについては、あまり深くは考えられていないように思う。新聞などマスゴミ云々で言われるのは記事内容の偏向とかが理由に挙げられるが、右も左も凋落しているので、それは関係ないだろう。
既存メディアがダメだからといってネット上に強力なメディアが登場したわけでもなく、単にマスメディアへの接触時間が減ってしまって、代わるメディアは不在のままである。大衆はメディア接触の代わりに、娯楽としてはゲームに、またコミュニケーションに時間を使うようになっていて、社会全体でみるとネット時代になってもメディアの革新はみられない。少なくとも日本では…
もともと日本のメディア産業は自己革新する業界ではなく、徹頭徹尾保身的であったように思う。新聞に新たなコンセプトで新規参入しようとすると、既存の新聞社が製紙会社に圧力をかけて、紙を供給させなくするとかの嫌がらせもあった。雑誌は勝手に発行できるものの流通がいろいろと注文をつけた。もちろん読者から直接購読できる方式をとればよいのだが、それでは広がるのに時間がかかりすぎる。ホリエモン騒ぎの際もM&Aは大変な拒否反応があったなど、波風が立たないのがメディア産業の特徴で、このことゆえに競って革新することも起こらない。
私もメディア作りの端っこに居たので、米の自主流通に貢献した大潟村の人々には本当に頭の下がる思いで、あきたこまちをなるべく買うようにしていた。インターネットの時代が始まった時に、きっと新たなメディアが登場すると感じて、Webには力を入れたが、WebはWeb以上にはならなかった。有料コンテンツとしてはメルマガやケータイアプリの方がよっぽど受け入れられたのである。
今コンテンツとしてはEPUBとか電子出版は容易にできるのだが、流通面が不十分で、Amazonといえどもロングテールなコンテンツを探すうまい工夫は無く、Webの検索エンジンに頼っているのが現状である。つまりメディアに関しては検索エンジン以上の革新は今までのところ無かったといえる。
でもまだ既存メディアよりはネット上の方がメディアの革新の可能性は高いだろう。保身的な企業の中では革新的な人材は育たないからである。
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