投稿日: Jun 07, 2014 2:30:59 AM
この2つの写真は戦前にbluesとしてくくられた音楽家であるが、日本ではカントリーブルースとシティブルースのファンは割と隔たりがあって、今日ではどちらもあまり居ないように思える。こういった人たちの古い音源をCD化しても数百枚売れるかどうかであるという。数百枚という数字は販促に使うサンプル盤(DJ盤)程度なので、ビジネスとして単独CDでは古いブルースは成り立たたない。
jazzも同様なのだろうと思うが、jazzという漠然としたくくりでは個人の嗜好には合わないという理由でjazz分野をさらに細分化すると単独ではビジネスにならず、企画ものやシリーズが出されている。1960年代のpopsやrockもそのようになりつつある。
大衆音楽には時代とともに変遷があるのだが、変遷の中で新たなジャンルが出てくる一方で、忘れ去られるジャンルも起こる。それらに関しては、記事『定石を壊して伸びる』で、Googleの音楽変遷図(下図)のことに触れた。
この図の謎は1960年以前はjazzがアメリカ大衆音楽の中で圧倒的な多数を占めていたのが、1960年以降は他のジャンルに浸食されてjazzが急速に萎んでいったように見える。前記事ではフランクシナトラのように1960年以前はJazzと呼ばれていたものが以降はPopになっていたり、黒人のアップテンポのJumpBluesなど50年代はJazzに含まれていたものが以降はRockになったりしたので、アーチスト自身は1960年以前も以降も変わりなく自分の音楽をしていたことを書いた。つまり新たな音楽ジャンルができるというのは、ジャンルの名称の再定義に過ぎないのである。
だから音楽ファンというのはあまりジャンルの区分に引っ張られてはいけない。そうでないと音楽ジャンルを超えてつながっているものとか底にあるものとかを見失ってしまう。
件の戦前からjazzと呼ばれていたものがどうなったかについては、下図のように考えればよいと思う。
そもそもアメリカの大衆音楽はカントリー以外はjazzかbluesに大別されるような時代だったので、日本でも淡谷のり子がブルースの女王とか呼ばれていたし、bluesもjazzの一分野であったり、bluesはjazzの祖先としてみられていた時代である。冒頭の写真のカントリーブルースとシティブルースは音楽のジャンルとしては異なるように見えても、どちらにも対応するミュージシャンは多くいた。これらは演奏形態が異なるだけで、曲としては同じbluesであった。つまりjazzのバンド形式で以前からのbluesが演じられたものがJumpBluesと呼んでもいいもので、それに対して弾き語りのような狭義のbluesがあった。
JumpBluesのレコードは1950年代になってどんどん増えていって、Blues&RhythmとかRhythm&Bluesと呼ばれることが多くなっていったし、JumpBluesのかなりの部分はロックンロールにも分化していった。一方狭義のbluesであるカントリーブルースとヒルビリーの融合したものはロカビリーと呼ばれ、これもロックの祖先であった。その陰で狭義のbluesの録音機会は1960年になると劇的に減少していったのだった。
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