投稿日: Sep 04, 2014 12:56:42 AM
すでにYouTubeは映像・音楽に関をシェアするためのクラウド型サービスの代表であるが、その意義はいろいろあり、今後も新たなビジネスに結びついてくると思われる。このサービスの着眼点のよさは、コンテンツが無尽蔵に湧いてくるところにある。最近ではGoProのようなデバイスによって新たに視覚されたアクションシーンが刺激的である。また監視映像なども再編集されて面白動画としてアップされることもある。自動車に備え付けられたレコーダーで事故映像も残るようになっているように、動画は人の操作なしで撮られることが多くなったからである。
もうひとつの「無尽蔵」さを示すものは、記事『失われた音を求めて』に書いた未発表の録音テープなどの公開の場になっていることで、ミュージシャンの遺族とか関係者が保管していたデータが次第にアップされるようになっている。最近みつけたもので、ニューオリンズのライブハウスで20-30年前に録音されたと思われる音源がジュークボックスのような形式に整理されてYouTubeのチャンネルとしてあって、当時はすでにレコード会社に録音する機会を失っていた人たちが、まだ現役としてバリバリやっている音が聴けてうれしかった。
これらは既存のメディア産業の枠の外のコンテンツであり、取り扱いに関するきまりが曖昧で、既存メディアからするとグレイだということになるのだろうが、商業ベースとの接点があまりないものは今のままの流儀で今後も広まっていくかもしれない。もし権利関係をはっきりさせるとなると、CCをつけるとか、オプトアウトの仕組みくらいで、新たな知財権論争を起こすことはないかもしれない。その理由はアップしているのが権利者の身内・顔見知り・関係者であって、権利者のことは無視できないから、知財権を気にする人はそもそもYouTubeにアップはしないだろうと考える。
むしろ見直すべきは従来の商業ベースの知財権の方であって、それはマスメディアによる複製販売ビジネスには必要なことであっても、ライブハウスや学校行事での実演にまでJASRACが集金に来る方が異常なのだから、著作権の行使を拡大解釈しないように是正すべきである。
単純に言えばオーディエンスの数の問題で、冒頭の無人映像や発掘音源の殆どは多くの人が見るものではない。中には口コミで何十万とか拡散してしまうものもあるかもしれないが、その方が例外である。ライブハウスも学校行事もそうであるが、何百とかのオーダーのオーディエンスの世界に課金する方が無駄なコストがかかってしまう。
そもそもパッケージ型コンテンツのマス販売においては数百の無料サンプルを制作して販促をするものだが、それらは印税の対象にはならないように、商業ベースでも少数の無料配布は慣例的に行っている。
音楽でいえば、1曲の100万ヒットがあるのと、1000曲の1000ダウンロードがあるのでは、ビジネスとしては100万ヒットの方が利益性があるかもしれないが、音楽シーンとしては1000x1000の方が豊かな土壌であると思う。未公開音源がYouTubeその他でいっぱい出てくれば、ヒット中心主義とは異なる音楽の世界が広がるのではないか。
Top → Articles デジタルメディアビジネスの記事 過去記事→Archive