投稿日: May 21, 2011 12:25:9 AM
スマホはメディアの革命かと思う方へ
メディア業界のことが経済誌に時々とりあげられるが、その多くが「マスメディア vs 新興メディア」という構図に作られている。しかし既存のマスメディアでも新興メディアであった時代があって、さまざまな試みがされた中で生き残ったのが今のマスメディアである。新しいメディアであるということに意味があるのではなく、それが社会に何をもたらしたのか、という点で振り返ってみる必要があるし、メディアで新しいサービスをしようと考えると時も社会への作用を検討することが将来の経営の成長につながるだろう。
グーテンベルグの活版印刷術で聖書が作られた話は有名だが、聖書は一生に1回買うとか、代々伝えられるような「財」であって、その後大学図書館などでこういった印刷物になった情報の「財」を共有するようになった。今でも17世紀頃の聖書はオークションで売られているが、その造りからして棄てることは考えられていないメディアである。
ところが産業革命になって製紙や印刷の生産性が向上すると、大衆向けの出版印刷物が増え、書籍・雑誌・新聞という情報業が興隆した。これは市民革命や近代化と符合したもので、国民教育などができるようになった。情報産業の拡大は紙媒体を消費するものへと変えていった。今でも新聞が「世帯財」であるように、多くの書籍や雑誌はは家計から支出され、やはり本は継承されることも多かった。日本では戦後漢字やかな遣いが変わったために戦前の書籍はほぼ廃棄されたが、これは特殊事情というか出版界にとっては特需であった。
ラジオやテレビもステレオも家計で負担する「世帯財」として長く位置づけられ、固定電話やNHK・CATVの視聴料などもその線で設定されている。ラジカセやWalkmanになって個人が情報機器を所有することが一般化した。この時代が日本の電気業界の黄金時代だったかもしれない。パソコンが1970年代末から登場し、パソコンがメディアになるという見方は当初からあり、まもなくマルチメディア時代になるといわれたが、フロッピ出版もCD出版も買ってもらえなかった。パソコン用では家計からお金が出してもらえないらしい。
ニューメディアの鳴かず飛ばずの時代が10年ほどあった後でパソコン通信、数年後にWebの時代を迎え、パソコンは一躍情報伝達の最先端の位置に躍り出た。その後ケータイの爆発的な普及があって一人ひとりが情報デバイスを持ち歩き、常時ネットに接続可能になるとともに、個人の情報支払いも倍増した。インターネット接続が世帯で月何千円かかるのに加えて、各人もケータイに月何千円の負担をするのだから、新聞や雑誌を蹴散らすことになる。これは情報ニーズから起こったことではなく、無線の利用の仕方が変わって無線のデジタルネットがパーソナルな情報機器を発達させた。
メディア論ではユビキタス社会になるといわれていたことが、省電力CPUと無線ネットの普及の組み合わせで実現した。パソコンインターネットもケータイもタブレットも現在は利用を増やす度に毎月何千円単位で支出も増えるので、スマホが急速に伸びるとしても早晩個人の支出限界がきて、新たなサービスはKindleのようにサービス料金の中にキャリアへの支払いを埋め込むとかWiFiなどの利用法の方が増えることになるだろう。メディアのビジネスモデルを考える上で、単に技術の変化だけでなく、費用負担やライフスタイルがどうなるかというのは大きなファクタである。
どこが費用負担するかということと、サービスのあり方、売り込み方については、また別の機会に…