投稿日: Feb 19, 2013 6:53:47 AM
ヒット製品がでない日本を嘆く方へ
日本の中高年はスマホでもやはり日本製がよいと言う人が多い。日本人に気に入ってもらえる製品を作ることは悪くはないが、それで世界で戦っていけるわけではないことは、いろんな面で明らかになっている。世界の企業の時価総額ランキングで1位はAppleだが、スマホ販売でガチ対決をしているライバルではあるサムソンは、iPhoneやiPadの部品にサムスンのものを使っていることもあって、最近は業績の成長度合いではダントツになった。もっとも韓国でこういった競争力をもつ企業はヒュンダイとかごく一部の企業に限られてしまうのだが、日本が参考にすべき点は多い。
記事『post Steve Jobs』では日本の端正な細工をしたり、それを評価する国民性を取り上げたが、これがマイナスになってしまうところも結構目立っていて、実際的でないコダワリに金や人をかけすぎて、かえって市場を狭めてしまうこともしばしばであった。いわゆるガラパゴスといわれる現象であるが、企業や学校などの組織においてはそうならないように自戒的に目標を立てたり評価をする必要があるだろう。特にアメリカや中国など日本とセンスの異なるところのやり方を研究する必要があるように思う。それを真似ろというのではなく、いろいろな考え方があるものだということを忘れてはならないからだ。
よく100円ショップの電子機器類を分解してみるのだが、日本人から見ると手抜きというかチャチというか部品をはしょって十分な機能を果たさないようなものもある。それで日本人のエンジニアのHPでは、もっと優れた回路を考えて何倍もの部品を使って、高性能なものに改造したり、優れた相当品を作っている例がある。それは製作のコンテストでもあれば優位に立てるかもしれないが、ことビジネスにおいては中国品は100円で市場に出せることに意味があるのだから、日本人が凝ったものを高い値段で再現しても勝ち目はない。そもそも商品のライフサイクルからして使い捨てに近いものは部品をはしょっていて寿命が短い商品でも全然差支えがない場合がある。つまり設計の考え方は一通りではないのである。
また昔PopularElectronicsとかRadioElectronicsという雑誌を講読していたときに感心したのは、ワンナイタープロジェクトというのが時々あって、要するに一晩のうちに組み立てが出来上がってしまうように、機能をワンポイントにして、回路もすごくシンプルにそぎ落とした設計がよく紹介されていた。振り返るとこれは100円グッズにかなり近い設計で、電子回路の教科書的設計からすると部品が足りないゾという回路なのだが、それでも大体は機能を果たす。例えば鉛筆を最後の1cmまで使い切る人はおらず、数センチの短さになると捨てるものだと考えると、その部分は芯を入れなくてもいいではないか、というような割り切りなのである。
ケータイ電話は目の見えない人でも使えるように、数字の5のところに凸ポッチがあるが、スマホになると目の見えない人のことは考えていないだろうと思える。つまりユニバーサルデザインをすると設計の縛りが多くなり、かえって自由な発想ができなくなるように、日本人は過去からいろいろなものを引きずって次第に新しい発想が困難なところへ自分を追い込みがちなのだろう。SONYのウォークマンがテープレコーダーから録音機能を捨ててしまったような、目的を絞り込んでシンプルなコンセプトを打ち立てて、不要なものをそぎ落とすことを意図的にしていかなければ、新たなものは生まれないのだろう。