投稿日: Mar 16, 2013 12:48:35 AM
音楽の足元を考える方へ
現代の音楽著作権が抱えている問題というのは、次第にレコード産業の都合に合わせられている点で、著作者や演奏家や聴衆のことが十分に汲み取られているとは思えない。これはいろんな薬事法でもセキュリティでも日本で行われる規制全般にいえることで、その時々の世の中の力関係で立法をしているようでは法が『軽く』みられて法治国家としてはマズくなる。特にグローバルな時代においては対外的にも齟齬が生じやすいし、日本で開発したビジネスが世界に広がらない要因にもなってしまうだろう。
現にネットの音楽や他のコンテンツ利用のための世界的なモデルを日本で開発するのは、日本固有の著作権解釈で育った人には不可能になっている。YouTubeに上がった楽曲も、欧米では見れる曲が日本ではレコード会社によってブロックされているような環境だからだ。
音楽の利用を広げるにはレコード産業の活動領域を超えて、音楽の発生から享受、さらには継承というすべての領域を見渡して考える必要がある。記事『パブリックドメインと創作性のバランス』では、沖縄の島歌や阿波踊りや河内音頭という民衆音楽とか世界の民衆音楽民族音楽のことを採り上げて、ベースはパブリックドメイン化させつつ創作性も認める方法を考察した。
私が聴いているアメリカ黒人のブルースの場合は一種の民衆音楽なので、上記の音楽に近くて日本で言う音楽著作権には当てはまらない要素が多い。日本で著名なBBKing などは民衆音楽ではなく、彼ははカントリーブルースをモダーンブルースにリメイクした時代が長く、創作性をもった曲はビッグネームになって以降に大ヒットするようになった。
彼よりも前の世代のブルースは、記事『文化としてみた場合のコンテンツ』で採り上げたLightnin' Hopkinsの場合は、フォークブームの時代に1年にLP何枚かを数年間にわたって出し続けたのだが、そんなに多くの録音があるのは半分はTraditionalで、半分は即興だったからだ。
実際にライブでの黒人の聴衆の中でのブルースの歌われ方をみていると、客席に赤い服を着た女性がいるとすると、Traditionalな曲の中の歌詞をその人に合わせて変えながら歌うとか、歌詞の流れでメドレーになってしまうとか、ニュースネタを歌詞に織り込むとか、単なるレコードの再現ではないものがよくある。
Lightnin' Hopkinsと同様にフォークブームの時代にブルースLPを沢山出したJohn Lee Hookerも吟遊詩人のようなもので、曲を作っているとか、スタジオ録音かライブ出演かなどの区別は、意識してなかったと思われる。LP録音はライブよりも割りの良い仕事としてありがたかったはずだ。出演時のギャラは約束では数十ドルのはずが、終わってみると十数ドル、という話はよく聞いたからだ。
LP録音でも歌詞は即興でバンバン出てきたように見えるが、多くは自分の昔の歌とかTraditionalが元歌となっていて、インスピレーションでテーマが与えられると、それらの言い回しが組みかえられて歌になるような感じだ。これも作詞とはいえるが、本人も全く同じ歌をどこかで再現できるかどうかは疑わしい。つまり歌う都度にどこかが変わっていくタイプの音楽であった。
このようにして出来た歌が自由に流通とか借用ができないと、民衆音楽的に音楽が盛り上がったり継承されたりしなくなって、音楽は一部の人の膠着した世界になってしまうような気がする。それが著作権を鎖国的にコントロールする弊害だろう。
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