投稿日: Mar 01, 2012 12:35:19 AM
パッケージメディアに代わるものが現れつつあると思う方へ
NHKの連続TV小説カーネーションがエンディングに向かっていて、最後に主人公のアパレル一家と土地柄の象徴である岸和田ダンジリをうまく重ね合わせるのではないかと予測している。今までのところ両者の関連はあまり描かれていない。直接ビジネスには関係が無い日本の地域的伝統行事が日本のクリエイティブや働き方に何らかの関係があるという設定かもしれない。それはこの物語以外でも感じるもので、各地のお神楽などが芸能の元となったように、参加型というのが日本のコンテンツの特徴のひとつでもある。徳島の阿波踊りも、踊りフリだけ取り出して形式的に普及することはなく、イベントとして総合的に高円寺でも盛り上がるようになったようなものである。このような基盤が再び現れつつあることを初音ミクやネット上でのコンテンツ共有にも感じる。
ボカロを契機としたマッシュアプとコラボによる、あらたなメディア・コンテンツのあり方について、記事『マッシュアップとコラボは人間に備わった能力』に書いたが、わかりにくいかもしれないので図示してみた。
まず最初のアイディアは、誰か作家がプロトタイプ的な作品を提示すると、そのオリジナルな企画がいろんな人にインスピレーションを与えて、企画そのものが広がっていく。元がゲームでも、イラストや音楽の創作を触発される人もいて、同じような文脈で別のプロトタイプが生まれていく。こういった様子をニコニコの観衆やコミケの参加者は見守っている。中には商業的なデビューをするものも含まれているが、商業デビューが実は2次創作になっていて、2次創作を禁じたならば商業作品も生まれにくくなってしまう状況も出てきている。つまり商業コンテンツだけを取り出すことができないほど、もっと大きなムーブメントが起こっていると考えられる。
これは従来の体勢である、プロデューサ・作家・配給元が中心にあって、制作→パッケージ化というラインを動かし、いろんなコンテンツ流通をコントロールしていた組織的なトップダウンの作り方とは対照的なボトムアップの方法の台頭で、それは新発明ではなく人類の古い文化のアナロジーといえる。
日本ではポケモンの普及が、各地のユルキャラブームの土台になっていると思うのだが、そもそもポケモンたち自身がそれ以前からあったいろんなキャラクタの2次創作ではなかったかと思う。作られる数で捉えると模倣的なものが大多数を占めるのは古今東西同じことで、その土台の上にしか本当にクリエイティブなものは生まれないのだから、多くの作家や観衆が参加するクラウド型とでもいうべきコンテンツは今後の豊穣な大地になっていくであろう。