投稿日: Jun 01, 2015 12:40:21 AM
書籍のタイトルでも見たことがあり、現代ではしばしば使われているのに辞書には載っていない言葉に「全体観」があるそうだ。つまり「全体観」は定義がないのに使われている。これは今日のいろいろな問題を指摘するのに必要とされた生きた言葉のサンプルなのかもしれない。英語ではholistic approachになるのだろうか?
昔に比べると情報流通は飛躍的に増えたわけだし、企業でも研修などをよくやっている。個人も自己啓発を意識しているのだろう。転職の際の職務経歴書なども上手に書けるようになってきた。しかし書類選考・面接をかいくぐって中途採用をしても、書かれたような経歴が納得できる人は少ない。
中途採用でそれなりにキャリアを見込んで採用しても、何が足りないのかというと、応用力とか自律的に行動できることなどがイマイチなのである。だから採用の際には何とか本人のそういった特性を捉えることができないかといろいろ思案してきた。例えばクラブ活動などでどのような役回りをしていたか、なども聞いた。どうしても日本人は「和を大切にする」みたいな人が多いが、これはかなり眉唾な言葉で、「自分を大切に扱ってもらいたい」と言っているように聞こえる。
一方で日本の企業の側も、「誰に反対されても自分の信念を貫く」みたいな人材は煙たがる傾向もあって、「和を大切にする」人材が入り込みやすい。しかし新規事業をやろうとするならば、和よりは自律的に行動できる方がよっぽど重要で、判断や意思決定が即座に出来て、しかも人の話もちゃんと聞いているような人が欲しくなる。
信念型の人は天才君ならばともかく、実際は偏屈なだけである危険性もあるので、その場合に客観的に周囲の情報も理解して適切な判断ができるかどうかという「全体観」が問われることになる。
他人が適切な判断をしているかどうかを判定することは難しいが、少なくとも必要な情報をちゃんと捉えているかどうかというレベルに引き下げて考えれば組織的な管理も可能になる。第一には報告をさせれば、その人の関心の比重の置き方がどうなっているかがわかってくる。無意識に耳をふさいでいる分野があったら要注意である。苦手なのかもしれないしトラウマがあるのかもしれない。
全体観でもうひとつ重要なのは、「聞き取り能力」である。人の話したことを聞いているだけなのと、話さなかった点にも切り込んで情報を集めるのとは雲泥の差がある。自分の指向がはっきりしていたり問題意識が高い人は質問をすることができるが、和型の人は聴いているだけになりがちで、全体観が得られにくくなってしまう。
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