投稿日: Nov 19, 2014 12:1:5 AM
枡添東京都知事はオリンピックで予定されている建造物等について見直すとか発言していたのはどうなったのであろうか?ロンドンを視察してオリンピック後にも役立てられるように計画するという。これはまっとうな考えなので、是非そうしてもらいたいと思う。一方で、長期的に考えた場合に東京のような大都市はどうあるべきか、という議論は意外になされていないように思える。
東京で問題となっているのは、高度経済成長時に人口が増加して、高島平とか多摩ニュータウンとか大規模に造成した団地が、高齢化とともにお荷物になりつつあることだ。償却はしてしまっているのかもしれないが、撤去しての再開発には新たな費用がかかってしまう。これら住宅の問題点は、団地で生まれ育った人が成人しても団地には戻ってこないので、団地が生活の場としての生態系を形成できないことであろう。つまり団地は滅びに向かって、一方的で一直線に進行していくものなのだ。だから永年にわたって良い住環境に向けて成熟していくことはない。
私の直感では、団地よりも後の世代である超高層のマンションも超高層のオフィスビル群も似たところがあって、それらの地域は成熟してはいかないで、滅びに向かって一直線であると思う。ビルの棟という単位では償却出来て不動産ビジネスとしては成り立つかもしれないが、付随してある商業施設や通路・学校など共用部分の成熟がおぼつかないと、結局はその地域は見捨てられることになり、再開発が課題になるとか誰かが負の遺産として抱えることになる。このように都市には、お金をかけても一時的にしか機能せずに、長期的には禍根を残す可能性のあるものがある。
私の生まれ育ったのは兵庫県の甲子園で、後に大阪府池田市で暮らしたことがあるが、近年になって両方ともに関西版田園都市の開発であったことを知った。Wikipediaによると、田園都市の起源は、『産業革命が進行したイギリスでは、雇用の場である都市に人口が集中し、人々は自然から隔離され、遠距離通勤や高い家賃、失業、環境悪化に苦しんでいた。 -中略- ハワードの提案は、人口3万人程度の限定された規模の、自然と共生し、自律した職住近接型の緑豊かな都市を都市周辺に建設しようとする構想である。そこでは住宅には庭があり、近くに公園や森もあり、周囲は農地に取り囲まれている。不動産は賃貸し、不動産賃貸料で建設資金を償還するので、都市発展による地価上昇利益が土地所有者によって私有化されず、町全体のために役立てられる。 -中略- 1903年にはロンドン北郊のレッチワースにて初の田園都市建設に着工した。 -中略- 第一次世界大戦後の1920年には2つ目の田園都市となるウェリン・ガーデン・シティに着工している。』ということだ。
池田市室町が出来たのが1910年、甲子園ができたのが1920年なので、同時期に日本でも取り組んでいたことになる。東京でも同じ動きがあった。大泉学園のように学園都市を作ろうとしたこともあった。後に筑波とか京阪奈のような学園都市も日本に生まれる。
枡添東京都知事がロンドンから何かしらのヒントを得たのであれば、是非とも長期的な東京のありかたに関する議論を巻き起こしてもらいたい。東京オリンピックの一時的な特需にばかり目が行って、都市が抱える問題に蓋をするようなことにはならないでもらいたい。
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