投稿日: Aug 22, 2011 11:3:14 PM
データ加工が必要でもお金がまわらないと思う方へ
情報化社会といわれる前のビジネスで重要だったのは人脈や裏工作であった。今でも接待をするのは人脈の維持という面はあるだろうし、ビジネスに裏表はつきものであるが、マズいことはバレる可能性が高まったのが情報化社会といえるかもしれない。訴訟になった場合に不正を証明されてしまうと負けるので、まじめにビジネスをしていましたという管理情報とか正確な情報提供をしている姿勢を示さなければならない。何はともあれ、ちゃんとデータ管理してデータの使い回しをしながらビジネスをするようになったのである。 そのようなわけで今の企業は社会への対面上、コンプライアンス絡みの情報管理や資格取得には熱心にならざるを得ない。
しかし本来業務においても特に日常業務に関してはロスや無駄のない情報管理は重要で、これもコンプライアンスの情報管理と同じ考えのもののはずだが、むしろ制度としては遅れてしまった感がある。考えようによってはコンプライアンスの方が現実離れして突き進んでいるともいえるかもしれない。それはともかく先では両者は似たものになるはずだ。SCMや電子調達をみると、もう担当者同士のネゴシエーションの入る隙間がないようなルールに基づくビジネスの作法になっていて、これは台湾・韓国・中国の企業の方がドライにできたのでグローバルに進出した。日本の場合はPOSや自動改札のような匿名のところはIT化が進んでも、相手の担当者の顔がちらつくところはどうしてもドライにできないのだろう。
出版社と印刷会社などもドライにできない典型で、出版物の最終データを出版社に戻す・戻さないというネゴシエーションがある。しかし印刷用のデータを出版社に戻しても再利用はできないので、親切に考えると出版社のデータ利用の意図を聞いて、それに使えるように加工して戻すことになる。しかし出版社からすると、再利用のためのデータ加工に、更なる出費はしたくない。つまり知財権の問題とは別に、データを戻す費用を誰が持つのかでもめてしまう。印刷会社からすると、それは印刷代金には入っていないということだろう。そこでデータ加工の再見積もりをするとなると、たいていは高すぎるといわれるか、あるいはプレーンなデータをタダで出して、再加工する際にデータ処理代を取ることになる。
これらは仕事は循環しているのにもかかわらずルールが作れないのは、出版社と印刷会社ともにライフタイムバリュー(LTV)という考えがないからである。データを再利用するたびにデータのやり取りや加工をして、また校正をしていたのでは、両者のビジネスのバリューをお互いに下げることになってしまう。コンテンツがIT化すればするほど疲弊するのでIT化は進まないし、アナログな人件費はいつまでたっても削減できない。本来なら出版側にとってはデータ再利用をして作る商品の発注準備や校正作業の削減になって、制作作業側でも重複作業をしないで手離れをよくできて、ビジネスを加速させるようなソリューションを考える必要がある。冒頭のSCMや電子調達は個別のビジネスの局面のネゴシエーションをなくす代わりに、仕事のスケールアップを狙うものである。
今では出版においても既存のデータを加工する代金よりも校正や校閲にかかる費用(人件費と時間)の方が高くなっているはずである。制作側では、部分的なデータ加工の経済価値は下がる一方なので、ビジネスそのものに関して一皮向けたものにしようという、LTVに基づいた共通の目標を掲げたいが、そうできにくいのが日本の出版界なのかもしれない。しかしそういったことが可能な時代なのだから、出版とプロセスが似た企業ドキュメントや教育産業の中で、先にLTV的なデータ処理が育つのは当然といえよう。