投稿日: Sep 16, 2010 11:17:7 PM
パーソナルメディアは面白いか?と思う方へ
ヨーロッパでは1000年近い宗教戦争があって、その結果はカトリックが勝ったともプロテスタントが勝ったとも言えないのだが、少なくとも聖書とかキリスト教の実態が明らかになった。カトリックの権威も残ったし、万民祭司も認められている。これは今日のメディアに関して、マスメディアとデジタル&ネットメディアを比較しているのと似ていて、最終的には権威あるメディアも残り、パーソナルメディアも認められるような時代になることを想像させる。
2010年正月にNHKで栗城史多(くりきのぶかず)氏という、世界の険しい山々(私にはこの分野の知識はないが、スゴイところ)を単独無酸素で片手にビデオを持って登っている人の番組があった。本人がつぶやいたり、ハァハァいう息遣い、時には泣きながら、また先に遭難した人の遺体を乗り越えて、少しづつ進んだり、退却する姿があって、山のことは知らない私でも大変驚いたことがあった。その後USTREAM中継で登山しているのを知ったし、今9月時点では「9/13 世界一上から目線の人生相談」というのが最新のUst番組である。エベレストのふもとのベースキャンプからの番組だが、そんなところに居ると人生の悩みがちっぽけに思えるので、iPhoneを使いながらtwitterでの人生相談を企画したと言う。相談は、家を出て行った配偶者に戻って来いと上から言ってくれ、とかをダラダラ行っていた。栗城さんへの支援をどうしたらよいかという質問には、自分の電子書籍を買ってくれと言う宣伝もしていた。
このUstはまだ2000人強しか視聴されていないので、TV放送とは何桁もリーチは違うのだが、内容的にはTV番組を超えるスケールのことが個人的にできるようになったという意味では画期的である。この後の予定として7910メートルの地点でモノマネをするという。要するに、すでにあるインフラやツールの組み合わせで、自分でメディアに関して企画から制作、配信、レビュー方法まで編成できる方向にあり、今までの行動するライターがどこかのメディアの協力を取り付けないと動けなかったとは逆に、先に動いてしまうことができるようになった。これは本人の自己実現に役立つという面と、こういった実態を人々が知ることができるという面があり、マスメディアが支配的であった時代との違いは情報を封じ込めることが不可能になったことだ。
100年前に探検隊がカメラを持つ時代になって、ナショナルジオグラフィーやタイムライフといった視覚的雑誌が繁んになった。これはそれまでのマスメディアの文字表現の制約やコントロールを打ち破るもので、文字で書いてはピンとこないものでも、一見してスゴイものというのが世に明らかになった。広島の原爆の写真類は日本が占領下の時代には隠されていたが、後にアサヒグラフなどに掲載されて大ショックであったこともあった。ベトナム反戦というのも、文字よりは視覚に訴える力が強かったと思う。視覚メディアのやったことは、単に光景を再現しただけであるが、それは文字だけの時代なら隠しおおせたかもしれないことに風穴をあけたといえる。
これから増えようとしているパーソナルメディアそのものに力があるというよりは、マスメディアなりどこかの大組織の情報操作に対抗する道具が増えたと考えればよいと思う。その道具を背負って世にいろいろなことを問う冒険家が登場してくるであろう。