投稿日: Sep 01, 2011 11:18:4 PM
ソーシャルメディアらしい内容を考える方へ
ソーシャルメディアマーケティングに期待があるとしても、人々がソーシャルメディアに特別の親近感を持っていない限り、そこにマーケティング効果が現れるとは思えない。今は日本のtwitter利用者が1700万人とか、数に目がくらんでマス広告の人たちがソーシャルメディアに色目を使っているのだろうが、広告の人が思っているソーシャルメディアの使われ方とはどのようなものだろうか? 実はまだソーシャルメディアの効用というのは実証されていないと思う。最近ソーシャルメディアが顧客とのエンゲージメントで有利なのではないかという調査結果が時々あるが、よく読むとエンゲージメントが深いのは元来コミュニケーションに熱心な企業になってしまい、これではトートロジーである。
やはり広告の視点からソーシャルメディアを活性化させようという試みには無理があり、それよりもソーシャルメディアが今までのメディアやコミュニケーションとどう違うのかをじっくり考えることが先決であろう。日本はtwitterの利用が多いというのは、会話のような「応酬」は苦手な傾向があり、「言いっぱなし」がtwitterで気楽にできるからではないかと思っている。掲示板の炎上で激しいやり取りがされているようでも、論点を噛み合わせようとするのは難しく、いつまでたっても同じ一方的な発言がこだましていることがよくある。メディアが何であってもこんな内容では何も変化はおきない。つまりメディアが人の意識を変えるものにはならないのである。
罵倒系の書き込みは実生活から遊離したテーマであるが、食べ物などの差し障りのない話題もおそらく何も変化は起こさない。日本のfacebookも差し障りのないメディア化しつつあるように思うが、そうでないものにはどんなメディアが考えられるであろうか? 今の日本のfacebookは仕事の付き合いが多いようにいわれるが、欧米ではそれはLinkedInの役割であることを、記事『SNSと個人の3つの顔』で書いたが、欧米のfacebookは肉親とか気の置けない友人など、どんなことを発言しても真顔で反論されない、阿吽の呼吸の人たちのソーシャルという面があるようだ。
もし自分が若かったならばどのようにソーシャルメディアを使うか考えてみるのも面白いだろう。恋愛相手とのようなプライベートな発言はソーシャルメディアには載せないにしても、2人の関係を知っている人ならば、うまくやっているか問題がありそうかなどをソーシャルメディアを介してうかがい知ることは可能だろう。こういったことは家族とか友人が見守っている中でお互いに展開されていて、お互いが励ましたり支援したりという、プライベートな世界をとりまくすぐ外側にある世界のコミュニケーションが個人にとっては重要なものとなるような気がする。