投稿日: Jan 27, 2015 12:28:9 AM
ニューヨークの9.11同時多発テロの際には、報道されないものがいっぱいあったが、それらはネットでは見ることができた。まず欧米では、飛行機がビルに突っ込んでいる映像を見て狂喜している人たちの姿は映されなかった。日本では一部海外ニュースとして、パレスチナで人々が道路に出て、空に空砲を撃ちながら大騒ぎしている姿が、きっと何かの手違いで放映されてしまったことがあり、これをYouTubeに上げていたが、そのうち削除されてしまった。また中国ではその日のニュース映像をVHSにダビングしたものが飛ぶように売れていた。その年にエジプトで行われたケーキコンクールの特賞は高層ビルに飛行機が刺さったケーキであった。
実はアメリカの中でも9.11ジョークというのがいっぱいあった。高層ビルの崩壊とか、人間が空から落ちてくるとか、オサマビンラディンネタであって、それはネットに氾濫するだけではなく、お土産ものまで作られていた。これらも正式な報道はあまりされなかった。こういったシリアスな事件や災害を笑いものにする慣習はアメリカには昔からあっただろうし、それらは日本人からすると相当非常識なレベルのものであった。しかしマスコミ報道にはほとんど取り上げられなかった。唯一ローカルなラジオなどでは結構無茶苦茶なことをいうコメンテーターは居たが、それらは世界的なニュースには乗らなかった。
武装集団ISISの人質になった日本人のことで、コラージュが作られたり、また真似をしたコスプレ撮影などがネットに上げられているが、日本人の若者がやっているレベルはアメリカのブラックジョークに比べると「ほのぼののとしたもの」と言ってもよいほどだ。ただ日米どちらのものも、そのような個人の遊びはニュースとしても話題としても取り上げる価値が無いのに、なんだかんだと言っている人がいるのが不思議である。
アメリカのブラックジョークの笑っていられない点は、それに近いことを本当にやってしまう人が出現することで、正式な報道でジョークが扱われないのは、こういう犯罪の特質として連鎖的な波及効果があるかもしれないからなのだろう。もうひとつはやはり人権の軽視とか命を粗末に扱うことにつながる点があることだ。アメリカには自己責任とか「それは仕方がないね」という意見がかなりあるからで、そう考えている人にとっては命の価値はそれほど重くないと思える。
日本でもコラージュで遊んでいる人が多いならば、日本人の命の価値は大したことはないということを、世界に知らしめていることになるのではないだろうか。
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