投稿日: Feb 15, 2014 1:38:10 AM
嫌韓とか嫌中という言い方がいつごろからあるのか知らないが、そんなに古いものではないだろう。それ以前は他のアジアの国を見下したような呼称があったのだが、中国や韓国の経済発展をみると、部分的には日本を上回るようになっているので、数値的には見下せない状況になって、逆に日本が貿易赤字などで見下されているので、かれらの社会を「見下す」代わりに主観的・情緒的な「嫌」になってきたのではないかと思う。だから「嫌」何々を統計数字的に表すのはなかなか難しいかもしれない。
私が大阪から東京に出てきたときには、今なら嫌関西というような人に時々合って、「どうも大阪の人は…」といわれることがあった。そういった観察は結構あたっている点はあって、自分たちでは気づかないものであった。信号が赤から青に変わる寸前に車が発信するとか、行列がきちんとできないとか、今でもあまり変わっていないかもしれない。また大阪の人は中国人に似ているとも言われた。中国人と仕事をする際にも価値観が異なってやりにくいことはなく、大阪には共通したドライな面はあると思う。実際問題として大阪では東京以上に中国人韓国人とは密な関係で暮らしていて、実際はみんな関西弁という連帯感の方が強かったと思う。今はどうなっているのだろうか?
嫌関西・嫌大阪の人たちはフツーの人で別に常識がないわけでもなく、仕事でも付き合いでも何の問題もない。しかしきっとその人たちの前では関西風のギャグなどはかまさないほうがいいだろうなあとか、関西的な合理主義を押し付けない方がいいだろうなあ、という配慮はしていた。結局は嫌関西・嫌大阪の人たちは関西人よりもナーバスであると感じた。嫌関西・嫌大阪は単に雰囲気とか気分の問題で、会津と長州などにも似た何かがあるのかもしれない。
しかしこういった些細な違和感とか感情のもつれが、忌まわしい事件に発展する点が人間の悲しいところである。
アメリカで黒人を差別しリンチ殺人などをしていたKKKという組織は、一時は国会議員まで送り出すほどの勢いがあったが、いろいろ不祥事があって衰退した。リンチ殺人などの度を越した黒人への差別行為は白人と黒人の接点がある南部で起こるのだが、何か問題を起こした黒人がつかまって、「何時いつ何処で黒人を木に吊るす」という予告が出ると、遠方からもそれを見物に白人が大勢集まってくる。そして黒人が死ぬのを見て安堵して帰っていく。ここから考えられるのは白人たちの漠然とした不安がヘイトを起こしていることだ。つまり黒人が自分たちをどう脅かすのかとか、自分の身に迫った問題とは関係なくヘイトが起こるのである。(画像検索で black Lynching と入れると、上のような写真が山のように出てくる。)
嫌韓とか嫌中というのも韓国や中国の方に何か新たな問題が発生しているというよりも、日本の側で不安やナーバスさが嵩じてきたきた結果なのだろう。
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