投稿日: Feb 01, 2014 1:35:33 AM
滋賀県の北部、福井県の近くの山間でトチノキ巨木林が見つかったニュースがあった。これを読むと日本にもまだ原生林はあるのだなあ、いいなあ、という記事に思えるが、正確にいえば発見ではなく、近くに人の集落は今もあるし、かつてはもっとあった。このニュースのキモはダム開発に関することである。
琵琶湖に注ぎ込む川の上流にはいくつかのダムがあり、旧建設省は1968年に丹生ダムの予備調査に着手し、水没予定地の集落の40世帯を1996までの30年間に移転させた。上の写真は1980年当時と今を比較したものである。人が住まなくなると見事に自然に戻ってしまうものだなあと感心する。
ここから移転した人の話からブナやトチノキの巨木林のことがわかった。近年は巨木が伐採されることが目立っていて、それによる影響が心配されていた。それは巨木の森に治水効果が高いからである。こういった山の機能は元の集落の人たちが山の手入れをしながら暮らして維持していたものだった。山が管理されず、また巨木が減れば治水が心配になる。もともとのダムの目的は治水だったが、住民を移転させてしまって山の手入れができない状態になりつつある。
結局は丹生ダムの予定は45年経った今年1月に、国土交通省近畿地方整備局などが本体工事着工前にダム計画の事実上の中止方針を発表して、このダムのために買い上げた土地を今後どうするかという話になっている。それまでにかけた費用は500億円以上である。
こういう何十年越しのダム計画は日本に100近くあるという。ということは何兆~何百兆円かが使われたことだろう。丹生ダムは建設前だったので中止になったが、建設を始めたものは今後も金をつぎ込んでいかなければならないという。止めることはできないのである。八ッ場ダムのことを思い出す。
治水という点で考えると、ダムで治水をするのだから、巨木を切って経済活動をすれば地域の活性化になる、というような論理が出てくるように思える。諫早湾干拓事業とか原発行政もそうであるが、目的と手段が入れ替わったり混乱して、単に目の前の利権だけが語られるようになってしまう傾向がある。こういう政策を推進している人は本当に日本のことを好きなのだろうかと疑ってしまう。
別の言い方をすると、「巨木を守れ」というテーマ設定をする程度では、地方選挙の争点としては非常に判りやすい利権問題に対抗して、きちんと混乱を解きほぐして選挙民に説明する力にはならないだろう。地方選挙の期間という限られた時間の中で国の行政の歪さを理解してもらい、本来の目的に沿って皆が知恵を絞りあうように話し合うことは無理がある。
ダム建設というのが何十年の計画で巨費を投じて続けられているのに対抗するのならば、やはり何十年持続できる運動を通じてでないと、利権のロジックを打ち負かすことはできないだろう。ダム・干拓・原発などは一見するとバラバラな事象のようだが、相手になるのはそれらの底に共通してある利権なのだから、個々に戦っていてもどうなるものでもない。それが自然志向の限界なのかもしれない。
参考 『自然志向は道楽から脱却できるか』