投稿日: May 17, 2013 12:33:7 AM
楽観でも、悲観でもなく、
日本でも選挙にインターネットを使って良い点悪い点という基準ができはじめた。なぜそのようになったのかは理解し難い点もあるのだが、議論に参画している政治家は、自分たちに有利なようにとか、不利にならないように、などを考えて綱引きをしているのであろう。小選挙区とか議員定数の議論も同じように、総論賛成でも決議事項については各自が自分の立場を押し出して、結果は妥協の産物として統一感の欠けたものになるのだろう。
こういった我田引水的な姿勢は政治家に限らずメディア論でもいつもつきまとっている。アメリカではメディアが発達すれば国民の眼は開かれるし民主主義は健全になると考える。しかし実際には人々を戦争に駆り立てるにもメディアは大きな役割を果たした。日本も同じであって今はマスメディアは国民の味方のような顔をしているが、戦前は逆だったのである。昔テレビが伸びていたときに、リビアがテレビの普及率で相当上位にあった。これはカダフィ大佐が自分の演説を国民に伝えるためにタダでテレビを配っていたからだった。
独裁国家にとってはマスメディアは非常に重要なものなのである。それに対してインターネットが登場したときには、誰でも情報発信できるメディアができることによって真のコミュニケーションが促進され、21世紀にはアラブとイスラエルが和解できるようにもなるだろうというビジョンが出てきた。ゴアの時代である。当然今はそのようになっていないし、Webの初期から和平を促進しようというサイトよりもイスラム原理主義の方が積極的にネットを利用してきた。
つまり新しいメディアが使えるようになったからといって、何も楽観できる要素はないのである。最近はそんな調査もされていて欧米ではネット利用者がリベラルな人が多いが、地域によってはヘイトスピーチが多いとか、日本に関してはネット利用者は欧米風リベラルではなくヘイトスピーチがコメントの多くを占めているなど、結構頻繁にモニタされるようになっている。
さらにAP通信が情報漏洩したという捜査で、記者の通話を司法省が蒐集していたなど、官による通信の検閲があったことが発覚した。これはアメリカの話だが中国では当然のことのようにネットの書き込みはどこかでチェックされ、消されたりしている。日本でも公にはされないが似た状況はあると思う。一般のサイトでも投稿されるコメントの自動チェックはしなければならないので、書き込む方も「氏ね」というように表現を使うなどいたちごっこになっている。
こういった中で自然言語解析とかビッグデータ処理という点では、個人よりも官の能力の方が上回っているわけだし、特にインターネットは情報流通の根幹を官がおさえ易いので、紙のアングラ文書が拡散してしまうのと比較して、官は容易に情報統制ができる時代になっているのである。それに反発して、Wikileaks や Anonymous などが登場してきた。
結局はメディア技術の発展はコミュニケーションの改善と対立の先鋭化の両方をもたらしているのである。昨今のゲリラ豪雨や寒暖差のような異常気象ではないかといわれることが、メディア・コミュニケーションにおいても表出することになろう。