投稿日: Aug 04, 2011 11:43:48 PM
コンテンツ提供に行き詰まりを感じる方へ
新しいメディアは、それ以前のメディアを模倣する。ラジオは寄席や講談をやっていた。TVは映画のようになりたがったし劇場中継もしていた。ネットメディアはCDや紙メディアや電波メディアを模倣している。電子書籍というのも、PDFよりももっと紙メディアに近いイメージを作り出したものだ。しかし新しいメディアはそこで留まるものではない。
新しいメディアによる新しい使い方のコンセプトとかアイデアがあっても、さしあたりコンテンツがないのが最初の段階である。日本のTVの始まりでは映画人がそっぽを向いていたので、TVは自分で作家から演者までを養成しなければならなかったが、それが結局はTVの差別化にも強みにもなった。借り物のコンテンツではその先の発展につながらないのである。
コンテンツの側からすると、長い歴史の中でコンテンツの中身にふさわしいメディアを探しているともいえる。もともと人が演じていたシェークスピアのような戯曲は小説のようなメディアにするよりも映画の方がふさわしいといえる。ただしメディア制作側からすると、本の編集・印刷と、映画の製作では大変さやコストがぜんぜん違い、一般には本の方が安く提供できた時代があった。だから本は広く普及したのであろう。しかし映画はDVDにすればオーディエンスを一挙に広げられるとか、ネットでさらに安く配信できるようになるとどうなるだろうか?
今本当にマス対象のコンテンツは印刷よりもデジタルメディアの方が安く提供できるようになっている。しかも文字でも音でも画像でも動画でも、それらのミックスでも何で容易に編集できるし、配信も問題はなくなっている。だから歴史の一時の制約で本という姿しかとれなかったコンテンツが、その束縛を断ち切られて、自らにふさわしいメディアを訪ね歩く時代になったと考えれば、メディアの企画は行いやすいのではないか。
現在では知財権上の問題でコンテンツの使い回しは自由にはできないがために、このコンテンツとメディアの関係の組みなおしはスムースに進んでいない。そのために無理やりオリジナルコンテンツを作っているようにも思える。クラシックは毎月新曲を出す必要がなくても、ひとつのジャンルを形成できるように、以前からコンテンツを循環させながら、後世に残せるようなものに高めていくという道もあろう。