投稿日: Jun 03, 2010 8:55:58 AM
日本がコンテンツ立国になって欲しい方へ
iPadとともに電子書籍が話題になることが多い。しかしiPadは別にそのために考えられたわけではない。この2つがつながる必然性はちゃんとあるのだが、コンテンツが欲しいからデバイスを買うと意識している人は勘違いをしていると思う。iPadを買う理由はiPhoneを買う理由とそんなに違わないだろう。それを使うスタイルを求めているのである。スタバでいっぷくの時のシーンを思い浮かべると、iPhoneでさてつぶやくか、だけでなくiPadならもっと自分の好きなことに使えるのでは、と考えるだろう。こういったモノへのこだわりも一種のフェティシュで、それを満たすのにコンテンツが必要になる。
大先生のコンテンツを評価するのはある程度年齢の人であって、若い人にとってはコンテンツは自分たちが生み出すもの、と考えるほうが健全である。妙なファッションでも、コミケ・オタク文化でもそうである。こういったものがフェティシュに盛り上がった後に新文化人が登場するのである。今は新しい情報受容スタイルが登場しようとしているところだから、先に知財権のような規制がない分野の方が新規参入が行いやすいので、ビジネス機会も増えるが、規制が多いと新しい血が入らずに衰退する。もともとコンテンツでメシが食える人はそんなに居ない。その人たちを守ると言う大義名分で、ライブハウスの音楽家の生活を損なわせるのは、コンテンツを育てるという観点からはマズい。
iPadや読書端末で自炊が盛んになることの憂慮もあるだろうが、その先には新たなコンテンツの担い手が現れるだろう。自炊はビジネスにはならないが、そういったことを通して読書端末を扱うスタイルや流通が確立されていくのは、音楽と同様であろう。音楽も既存の音楽業界から自由になるきっかけを、mp3やCD-Rは与えてくれた。年寄りは守り、若い人は壊す、という図式はコンテンツの世界の常識だろう。日本をコンテンツ立国にしたいなら、新しいスタイルに棹をさしてはならない。
さて既存のコンテンツはデジタル時代にはアーカイブの位置に据えられる。TVの初期に映画を模したり、映画を放映したが、TVの真価は映画では発揮できないように、デジタルメディアにおける書籍は、今はデバイス普及の促進剤であるが、映画と同じようなアーカイブとして確立するだろう。ここでキチンとしたビジネスモデルを作るべきである。