投稿日: Feb 02, 2012 12:42:16 AM
グローバル化と東アジア交流
近年アジアの国に行く機会が増えたので再認識しているのは、これだけアジア諸国の交流が多くなり、ビジネスではコラボも競合も増えてくると、愛憎こもごもになってきていることだ。宝島社が嫌韓の冊子を出していてオヤと思ったのだが、同社が特に日本の若者女子文化を牽引しているという自負を持っているとすると、韓流のような別のベクトルは気に入らないのだろうな、ということである。よくネットで言われている嫌韓オピニオンをまとめて冊子にしているのだが、まあ韓流も日本のやっていたことと目くそ鼻くそのれべるであって、いずれも世界のメジャーなトレンドにはならないだろうと思う。今まで日本で話題になるのは日本という国でのコップの中の嵐だったのが、東アジアという少し大きいコップに変わったようなものである。
以前中国の内陸部で反日デモが行われた地域の特性が何かをザクっと調べて見て思いついたのは、中国沿海部は海外の投資を呼び込んで輸出産業の育成をしているのに対して、内陸の奥にはもともと中国の軍需産業とか国営企業のような内需の拠点が近くにあることで、テレビに映るデモの若者の格好も上海などの若者の様子とは微妙に違っている点であった。要するに日本とは接点の少ないところで起こったものである。上海でも反日デモがあったが現地の人に聞くと殆ど知られていなくて、まるで日本の報道陣向けに行われているようなものだったという。内陸部のデモは、むしろ中国内部における格差問題があって、それが姿を変えて反日という形で表出したように思えた。
私は関西で生まれ育って、親が愛知に転勤し、また関西に戻って、就職し、今度は自分が東京に転勤したので、関西を出たり入ったりしたのだが、子供の頃は外に出ると嫌関西というのを直接感じることもあったし、今でもある程度の年から上の人では関西人は苦手という方がいる。これは言葉・イントネーションというだけではなく、態度や思考などにも及ぶ話で、関西人のアクを誇張したようなイメージが出来上がっているのだなと思った。以前は関西にも関東人を苦手に思う嫌関東というのがあったが、私が住んだ兵庫・愛知・大阪・京都・東京のどこでも、実際の一人ひとりの個人との付き合いにおいては先入観のイメージは当てはまらなかったし、何のバリアも感じられなかった。その延長で中国・台湾・韓国の人とも付き合いが可能であった。
こういう感覚を私がもつのは、私がひとつの地域にとどまって暮らさなかったことにもよるのだろう。しかし今日の情報環境はもっと進んで開かれたものとなっている。記事『ニュースで実態は伝わらない』では、現代がクロスカルチャー化しつつあることを書いたし、TPPのような議論も続々と起こってくるであろう。しかしそういった課題を乗り越えるには、もっとお互いの文化とか大切にすべきものは何かを突き詰めて考えていくことが必要で、クロスカルチャーはみんなが平準化して個性が無くなる事を意味していない。国を超えた交流が増えて、ビジネスで近づく機会が多くなっても同じになるわけでもないのはヨーロッパ諸国の様子を考えればわかることである。
クロスカルチャー化に乗じて自国文化の輸出はしたいけれども、外国からの輸入は規制したいというような我侭は通用しない。生活者のレベルでは文化差を通じて社会を見直すことが起こり、それは日本のあり方を考える上でも重要なポイントである。ビジネスの場では駆け引きが増え、日本流のガラパゴスビジネスを見直すことを促進させるだろう。なかなか欧米のよいところを日本に取り入れることはできなかったが、東アジア問題はもっと緊迫感をもって日本を新しくする要因かもしれない。