投稿日: Feb 12, 2013 12:7:10 AM
ネット幻想があるのではないかと思う方へ
過去20年近くは、良くも悪くもネット依存症の人々が文化の変節に少なからず寄与してきた。アナログメディアの著名人でネット上でも発言し、影響力をもつ人も居るが、それ以上に一般人がリアルワールドでは言えない事もネットなら書き込めるということで、オルタナティブなメディアとしてデジタルネットワークを日常的に使うようになって、炎上もあれば反原発デモのような行動も起こり、マーケティングにおいてもネットメディアが重要に考えられるようになった。
しかし従来のアナログメディアの商業的成功体験をネットメディアで再現できない。これはネット原住民とかデジタルネイティブと呼ばれるような人々の指向と、従来のマスメディアの対象である大衆には、未だに相容れない要素があるからだ。マスメディアの大衆は受身であるのに対して、ネット原住民はある面では能動的で敏感だから、高名なクリエータとか金のかかったコンテンツによるトップダウンの一方的な情報伝達が効きにくいからである。
アナログメディアを成立させるには金がかかり、一定数の読者・聴衆を集めないと採算が合わないとか広告がとれなかったのに対して、ネットはほぼタダなので「気に入らない人は見てもらわなくても結構」という閉じた社会になりがちだ。そこで自分たちだけに通じるコミュニケーションができてきて、それらの中から流行語や新しいライフスタイルも生まれてきた。こういったネット文化をネット原住民は大切にするし、ネットに関した規制に反発する。ではネット利用者が増えればこの力が増し加わっていくのだろうか?
当初から2chのような匿名掲示板においては玉石混交であったものの、同時に自分で情報を吟味して妄信しないというネット情報リテラシーも形成されてきて、あるバランスをとっていた。これはWikipediaにもそのままあてはまり、当初は「信用するのはいかがが」ともいわれたが、やはりあるバランス感覚 をもってWikipediaを使うというリテラシーは形成されてきたと思う。しかしネットを適切に上手に使って、自分にまた社会に役立つものにできる、というのはネット原住民の幻想であると思うのは、このバランス感覚 をもったネットリテラシーは一般人には求めることができないからである。
ひとつの現象としてQ&Aサイトがボロボロになりつつあることを何度か書いたが、最近「部落出身者の姓は何ですか?」という投稿があってびっくりした。回答には全うなものもあったが、トンデモなものもあり、2chよりもタガが外れつつあるように思えた。ネットリテラシー以前に情報リテラシーが足りないネットの利用者が増えるに従って、ネットの社会的な意味合いが変節して、あるバランス感覚をもったネット原住民の方が少数派になりつつあるのだろう。
現在の様子を見るとネット原住民は自分たちの閉じた社会を大切にするあまり、一般社会では主役にはなれないし、マスにはなれない。だから選挙には結果を出せない。一方でネットのトラフィックは大衆性や日常性に覆い尽くされようとしている。そこにはオルタナティブなメディアのメッセージは届かないだろう。ネットメディアの特殊性というのも再考すべきところにきている。