投稿日: Dec 13, 2010 10:54:14 PM
広告・販促は中毒のように思う方へ
広告業の衰退は単なる内需縮小の反映ではなく、日本が成熟化して製品の過剰な差別化や多点数化により、マス広告に見合った万人向製品が減ったことによることを以前に書いた。これは日本だけでなく顕著なニーズを捉えにくくなった先進国に共通した課題で、かつてのメーカー主導による垂直・トップダウンのマスマーケティングの限界を乗り越えるために、アメリカでは、DMやCATVやネット、OOHの広告に次第にシフト・拡散してきた。このように媒体が増えるに従って、広告をする際の媒体計画が重要になり、クリエイティブ主導の広告からミクロマーケティング的考えの広告制作に傾斜してきた。
もう一方で、販売現場はPOS化によって大きな革新があった。そのために広告費よりも販売促進費に回したほうが効果が上がるような傾向も出た。企業としては広告業が衰退してもトータルで販売にかける経費は減らしていはいないだろうが、広告の役割がミクロマーケティングには拡張できなかったから、販促という分野が伸びているのだろう。とはいってもどちらが優れているというものではなく、新製品は広告でpushが必要で、売り場ではあの手この手の販促でpullの機会を作るという関係である。それで新製品が多いときにはpush広告の比重が高まり、製品が知れ渡っているとクーポンやプレミアやポイントや…販促だらけになる。
もうひとつ広告と販促の役割の違いは、広告がメーカーなどが生活者の好意を得てファンを増やそうというブランディングをしている一方で、売り場は小売が主導していて、生活者に心変わりを促すという機能もある。主婦が買い物に出かけるときにブランド・製品名まで指定しているものの方が少なく、売り場で選択するようになっている。これは商品が多点数化して広告されていないものも売り場には並んでいて、その場で再評価されるためである。そこに販促の工夫をして、顧客を横取りすることが起こる。つまり今日ではメーカーが売り場まで支配できなくなったので、広告活動で築いた関係を如何に壊すかというのも販促の役割になるわけで、そのような支配力を強めた大手流通業はメーカーを天秤にかけながらさまざまな協力要請をするようにもなった。これから抜け出すことも考えなければならない。
このような広告と販促のパワーが分離していてイタチゴッコの関係がある以上は、一貫したマーケティングの理論化などはできないと思う。ソーシャルメディアがマーケティングに大きな影響を与えると思うのは、上記の関係の中でのソーシャルの活用ではなく、新規獲得が出来にくくなった成熟化社会のリレーションシップ・マーケティング(ライフタイムバリューなど)をしていくためであろうと思われる。これには顧客とのコミュニケーションだけでなくコンプライアンス(社会責任)の問題から、消費者運動との連携まで、新たな課題が多くある。例えば苦情窓口をうまく運営すれば9割は継続顧客になって、新規顧客開拓よりもROIが高いというのがアメリカの定説で、リレーションシップが企業を支える時代になろうとしていることがわかる。