投稿日: Aug 20, 2011 12:7:9 AM
デジタルメディアの脆さを危惧する方へ
テレビとかラジオというメディアが世の中に広まって、人々がメディア接触に生活時間を割り当てることが多くなると、そのメディアがさらに発達するかというと、必ずしもそうでもない。テレビマンユニオンを作った一人で一昨年あたりに亡くなられた、村木良彦氏の会社Today&Tomorrowには何回かお世話になったことがあるし、インタビューしたことがある。村木氏はNHKに内定が決まっていたがTBSに入った理由として、「私は貝になりたい」のような作品を自分も作りたいと思った、とおっしゃっていた。これは映画に感動を受けて自分も映画の道を目指すというのと同じで、人が作品を作ることと、作品が人を作ることが循環している例である。小説も美術も音楽もそのような循環がある。しかし今のテレビにはなくなってしまったものである。
日本の新聞も同様で、さらに悪いことに、新たな参入者が現れようとすると、よってたかってつぶしてしまうので、その業界全体で見るとレベルが向上しない。マスメディアは斜陽のように言われることが多いが、例え半減してもマスメディアであるし、今のネットメディアもオーディエンス数がアナログメディア以上になったものもあるので、マスメディアと呼んでいい場合もあるだろう。だからもうマスかどうかは問題ではなく、そのメディアを支える人の再生産ができて、今後よりリッチになりそうかどうかに注目しなければならない。
その意味では今のネットメディアは成功しているように見えても、次世代の能力を見なければ本物かどうかを判定することはできないだろう。CookPadのような投稿メディアは、実際に料理をしてみて、さらに工夫を凝らしたものが次には投稿されるから、コンテンツの好循環ができるだろう。この場合は料理を食べるというリアルな面での評価が一回されていることが強い。しかしネットで情報を集めて編集してネットで発信するようなメディアの場合は、TVの番組紹介誌のごとく、元となる情報の質に依存するので、元が貧疎になるとメディアも貧疎になってしまうだろう。これはネットメディアだけでなく、雑誌にも共通する話で、パソコンが成熟期になって技術が枯れてくるとパソコン誌が成り立たなくなる。
パソコンの場合は総合誌が駄目になる半面で、デジタルレコーディングとか、デジタルオーディオなど、パソコンを使ってリアルな世界でよい成果をだそうという方向に雑誌つくりは進む。スマホのようなユビキタスなデバイスが普及すると、さらにリアルに貢献する情報提供が増えていくだろう。例えば既にあるのかどうかは知らないが、釣りで取った魚の正体が分からないときに検索するサイトとかeBookというのも考えられる。要するに過去のコンテンツの蓄積は、デジタルメディアやネットでリアルな生活の充実に役立つ方向で再構成されていくのだろう。
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