投稿日: Feb 02, 2016 12:20:9 AM
欧米とビジネスをする場合に、日本人にとってはパーティーが辛いという人も結構いる。取引相手として通常会っている人なら冗談も言えても、パーティとか円卓の会食で初めての人と隣り合って何か会話しなければならなくなると、結構とまどうものである。まず自己紹介くらいはできなければならない。それは日本でも練習はできる。しかし相手からいろいろと質問されるかもしれないし、相手の自己紹介に対しても何らかの話のつながりをつけていかなければならない。特に趣味がある人はいいのだろうが、無趣味で酒を飲んでいるだけのビジネスマンにとっては話題に詰まってしまうということだろう。
こういう初対面の会話は、学生時代からやり慣れている欧米人とは異なって、普段は近しい仲間としか話をしていない日本人は苦手なのである。だからと言って急な訓練でできるようになるものでもない。いわゆるリベラルアーツとか教養の問題が底に横たわっている。その中でも特に地理というのは重要に思えた。ヨーロッパは植民地時代に世界に出て行ったせいか、親類縁者でも各国に散らばった人が居るのだろう、世界地図は彼らの頭の中に入っているようであるし、主要な世界史の出来事も教養として知っているのだろう。
日本人も海外旅行は随分と盛んにはなったが、マチュピチュのようになぜか日本人がウヨウヨしているポイントがあったりして、地球規模で言えば相当偏っているのだろう。もちろん偏っているのは地理の知識だけではないので、海外経験から見えてくる日本の教育問題というのもある。たとえば欧米ではユダヤ人にも時々出くわすので、キリスト教とユダヤ教の違いとか、それに関連した歴史認識、口に出してはいけないこと、など欧米人と付き合う上で必要な教養というのは日本の学校教育の中には入っていないし、家庭で身につくものでもない。
私も国際会議の際のパーティ・会食などにはとまどったことが何度もあったが、子供の頃から家のトイレに世界地図が貼ってあったことでずいぶん助けられた。また成人後にクリスチャンになったということで、彼らの行事や日常生活が想像できることが多く、非常に話題の範囲を広くできた。これらによって会話の語数は少なくとも、相手がどんな人物であるのかがお互いに良くわかるようになるからである。もし日本にしかない特殊なものごとを流暢な英語でまくしたてても、お互いのコミュニケーションにはならないのである。
今グローバル化で英語力が問われることが多くなっているが、語学の問題ではなく、宗教や社会思想など文化的な理解が伴う必要があると思う。
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