投稿日: Jun 23, 2011 10:25:2 PM
フリーはなくならないと思う方へ
学園祭の出し物でも知財権問題が発生することがある。権利者がはっきりしている場合は事前に連絡を入れておいたほうがよいだろうが、パロディなどの場合は警戒されて断られるのではないだろうかという心配もある。実際は忠実にコピーしているつもりでも、とんでもなく似ていないパフォーマンスもあり、YouTubeで失笑を買って話題になることもある。今日ではどこで誰がビデオを撮っているのかわからない。権利者が本人ではなく法人の場合もあるので、こういったイベントの主催者もなるべく商業作品には抵触しないようにとか、撮影禁止の表示をすることがある。しかし法律に抵触するかしないかという議論とは別に、そもそも法律が何を守ろうとしているのかどうかを考えるべきである。
おそらく日本とアメリカで異なるのは、作者の人格権の重視か、被害とか損失があるのかどうか、なのではないか。つまりYouTubeなどにやたらにある他人の楽曲のカバーは、CDなどのコピーとは別問題で、権利者のビジネスを侵害している要素はなく、むしろアメリカでは本物に対する宣伝になっていると考える人が多いだろう。日本の場合は自主規制でカバー曲のYouTube露出は海外のものが中心のように思える。これは海外の人なら文句は付けないだろうという心理が働いているのだろう。結局耳に馴染む曲というのは、昔はラジオや有線でよく聞いた曲であったように、今ではYouTubeやニコ動にも転がっていた方が広まるはずである。だから日本の自主規制体質は商業音楽にとってもマイナスに働いているのではないか。
常識的に考えて法律に触れるかどうか白黒はっきりしているものは論外だが、グレーゾーンというものがあって、その時に論理ではなく心理が作用してしまう。盆踊りもピンキリで、商業イベントとして行われるものから、小学校や町内会のものまである。商業施設で行う場合はJASRACに支払わなければならないだろうが、キリの方はどうなのか。小学校の盆踊りでも夜店は行っているので、払えといわれるかもしれない。おそらく今は主催者判断であろう。業者から音響機器の貸し出しをしてもらう際に、JASRACの支払いが関係するかどうかの注意書きがある場合もあり、違法性があるなら貸し出しお断りというのも自主規制の一環である。
民間の文化活動にビジネスとの関係でギクシャクするのはよろしくない。コンテンツでビジネスをしている人の視点には個人の文化活動への配慮が漏れていると思われることは多くある。手元に本がなくなって曖昧なのだが、クリスアンダーセンのフリーミアムも結論がすっきりしないように思えたのはこの点で、クリエーションは一銭にならなくても途絶えることはない。むしろ曲が思い浮かんで自分でやってみる人で金儲けを考えている人のほうが稀であろう。そういった湧き出すクリエイティビティの受け皿としての文化活動は非常に重要で、そこにいろんな規制を働かせてしまうのは創作の芽を摘むようなものだ。
ソウルミュージックは教会内の聖歌隊が母胎になっているわけで、ビジネスと文化活動は分けて考えて、クリエーションの揺り籠としての自由領域を作ることは大変重要だと思う。