投稿日: Dec 17, 2010 10:42:33 PM
デジタルメディアは漂流していると思う方へ
デジタルメディアはフロンティアであるということを折々に書いているが、過去にもメディアはいつもフロンティアであった。それはメディアが意識を新しくするからである。同じニュースの内容でもメディアが異なると別の気づきがあったりする。だからメディアは共存的に発達してきた。音楽をタダで流すラジオとレコードが2人3脚的に伸びたのはラジオも蓄音機も普及率が低くて競合にならなかったように、20世紀はすべてのメディアが成長する充実期であった。しかしラジオもレコードもデバイスの開発普及とともにあるメディアは、成長スピードに限界があり、自ずと共存方法を考えるとか、次の手を打つ時間的な余裕があった。
しかしデジタルメディアは、PDFやWebがパソコンでもスマートフォンでもタブレットでもみれるように、デバイスの制約が少なくなっていく。つまりデバイスに縛られて普及速度が制限されることがない。PCやケータイでSNSやそれに関連したアプリが1年で百万・千万という数の普及が可能になったのは、その反映である。だから専用デバイスが必要な読書端末や紙の本とは事情が違って、デジタルメディア同士のカンニバリズムの方が激しく起こる。YahooとAOLの合併話が持ち上がっているが、デジタルメディアはいくら大きく成長しても流動的であることは避けられないだろう。そういう経営のスタイルの違いを考えると、以前USENが動画配信をしようとしたことがあったが、アナログメディアの人の経験でデジタルメディアの事業を始めるのは相当に困難が伴う。
むしろゆっくりしか動けないところのデバイスに縛られる旧メディアの方が、たとえ今よりも縮小するにしてもデジタルメディアとの共存はしやすいだろう。紙の本がなくなるか、という議論もあるが、マニュアルが電子化して用が足りるようになったとはいっても、やはりプリントとかPODをする局面は存在するように、オプションとして必要な人だけに印刷物を提供するというスタイルは続いていくだろう。印刷で巨大な部数を誇るものがなくなっていくように、印刷というメディアは次第にロングテール化して残る。そういう意味ではロングテールのビジネスモデルには当てはまっていく。例えばCookPadのような一般的な料理ではなく、日本の伝統的な食べ物のレシピとかのサイトならば、素材の入手方法や、地域文化の書籍などいろいろなものを取り揃える必要があるだろう。
要は先に印刷ありきでもメディアありきでもなく、サービスとして顧客ありきで考えれば、メディアのカンニバリズムとか牽制ごっこは不問にできる。メディアを技術決定論で考えると、そのメディアでできることを中心にビジネスモデルも作ろうとする誤りに陥る。しかしそのようなビジネスモデルは技術革新ですぐに揺らいでしまう。たとえ技術決定論がある時期通用するにしても、技術変化は想定できるのに、玉突きのように起こるビジネスの変化を想定できないと、やはりビジネスの継続的な発展は望めない。技術とビジネスの両方が変化することを捉えられるようにするためには、顧客視点とかライフスタイル、社会の変容というような要素も考え合わせて事業の計画をたてなければならない。