投稿日: Oct 05, 2015 1:41:4 AM
パソコンのフリーウェア・シェアウェアで、もう10年以上使っているものがいくつかある。DOSのコマンドもほぼ毎日のように使っている。例えばフォルダ内のファイル構成をテキストファイルにするには、DOS以外にどんな方法があるのかわからないからだ。内容がリスト形式のテキストファイル内をソートするのもDOSが最も手っ取り早いし、ハードディスクの修復やゼロフォーマットもDOSでやるのが簡単だ。しかし一般の人がそういう操作をしているとは思えない。実態はどうなっているのだろう?
ハードウェアのように目に見える物理的な世界での開発は日本は得意なようで、特に光学関係は世界一といってもいいだろう。今Sonyがデジタルカメラを販売しているのかどうかは知らないのだが、かつてデジタルカメラの黎明期にSonyのエンジニアと話していた時に「Kodakを潰すのが目標です」とおっしゃっていて、事実そのとうりになってしまった。Sony自身も部品レベルではあるが画像センサーにこだわったことは今日の会社を支える柱になっている。
つまりハードウェアに関してはこうした執念とか粘りを日本人は発揮できるのに、ソフトウェアではOSとか優れたシェアウェアのような執念に支えられるような開発がされていなかったように思える。DOSも最初はDR社のCP/M86のパチモンから始まったにせよ、その後の改善はクリエイティブな活動といってもよく、息の長いものとなった。実際には制約が多くDOSだけでは困るところが多いので、完成度が高いとはいえないのだが、排除すべきものではない。
今の仕事でオーサリングシステムにかかわっているのだが、スタートはWindows向けであったものをオープンソースベースにしてクラウドで使えるようにしたら、随分と機能が削ぎ落とされてしまったことがあった。それを復活させる改修を積み重ねなければならなくなっている。最初にWindows専用であった段階ではアプリの中でもOSの機能とか、Windowsに付随しているソフトのモジュールなどが使えて、Windowsに依存する形ではあるが、利用者には馴染みやすい操作性で実効結果も今までのWindows環境と同じ様になっていた。
しかしオープンソースベースで白紙で設計すると、設計すべきことが山のように増えてしまい、実際には相当はしょってアプリを作らなければなくなる。一時WebOSなどという話題もあったが、そんなものはどこにもないので、クラウドベースで開発するところは皆同じようなコードを書いてはデバッグすることが多くなっているはずだ。結局いまの段階ではクラウドベースの開発ができるところは、OSくらいは自分で作れる体力のある大組織になってしまっているのではないだろうか?