投稿日: Sep 24, 2010 11:28:50 PM
コンテンツビジネスのスケールが小さくなった思う方へ
今のTVはまだ情報流通経路が免許制で限定されているが、出版流通も音楽流通も含めて流通支配のあるマスメディアでは、映画の観客動員、流行歌のヒット、TVの視聴率、本のベストセラーなどのように「コンテンツが王様」であるといわれた。しかしマスメディアの営業成績が数字としてパッとしなくなった現状は、横綱不在の大相撲になったからなのだろうか?このまま横綱待望していればいつか回復するものだろうか? いやこれは国民みんなが同じ情報を享受することを喜ぶ時代ではなくなって、嗜好の個性化、多様な文化の流入という潮流によって、マスメディアのような流通支配が可能な市場が半減したのだろうと思う。
かつての「コンテンツが王様」とは、情報流通支配者からみて「金の成る木」に過ぎず、コンテンツホルダーの先生達は銀座で接待されたかもしれないが、王様=支配者ではなかった。ビジネス的には王様は傀儡であった。コンテンツを「金の成る木」と考える見方が現代にあっては間違っていると思う。記事『
メディアを巡る誤解 TOP10』では、新たなコンテンツのクリエータとその新しい市場とは同時に現れてくることを書いたが、新しい分野ではカリスマ的なタレントの獲得合戦ではなく、新品種の農耕とか養殖のようなことを行っていかなければならない。こういったことがeBookを筆頭とする今のデジタルメディアの流れの中で起こってくるであろう。例えばアナログ時代ならライブハウスとかコミケのイベントとして行われていたようなものが、今後はネットのコミュニティと連携して淘汰されるようになって、そこから次の時代のスターも出てくるようになるだろう。
マスメディアも王様を捜し求め続けるし、そこはやはり桧舞台ではあろうが、レコードの販売数ではなく有線放送でかかった回数でも評価されるように、ネットのコミュニティの評価の重要度が増すようになるし、その評価を生み出すようなネット上の情報交換の活性化があるだろう。今までもケータイ小説のようにネットの上でコンテンツを発表する機会とか、販促の機会はあって、ネットには力があるように言う人もいるが、実際のコンテンツビジネスとしてのパーセンテージで考えるとネットは未だ取るに足らない存在であって、逆にスマートフォンやタブレットPC、読書端末という今爆発的に広がりつつあるデバイスを通して新たなコンテンツの王様が登場するようになるだろう。
これらのデバイスがPCと何が違うのかと思うかもしれないが、一番の特徴は日常生活に密着している点で、ケータイ電話がふとんの中にまで入り込んだ如く、人の起きている時間のすべてに同伴する情報端末となるので、従来マスメディアに割り当てられて個人の時間を新しいデバイスが奪い取ることになろう。AppleTVやGoogleTVもそういった時代への対応である。こういったデバイスがマスメディアと違うのは、情報流通支配者を生み出しにくく、フラットで多様なコンテンツを扱えることであり、冒頭に書いた今のマスメディアが取りこぼしつつある分野をカバーして伸びていくことが考えられる。
そしてコンテンツホルダーが王様になる時代が来る。小さな王様がいっぱいいる状態かもしれない。電子書籍はAmazonのKindleのように著者が直接に流通業者と契約して利益の配分を受けるので、従来の出版社が上に立つ構図とは異なったものとなる。実際に著者がすべての作業を出来るわけではないので、編集が著者のサポートをすることは続くが、コンテンツホルダーの立場がずっと強くなっていくだろう。