投稿日: Jun 12, 2011 11:2:23 PM
硬直化した組織の限界を感じる方へ
紙の出版をした直後に、なぜか校正漏れを発見するものである。読者が気づいても笑って許してもらえるようなものから、正誤表を印刷しなければならない場合もある。編集者は訂正原本を作っていろんな人の指摘を集約し、第2刷りとか改版の時に作業をする。しかし実際には初版だけで終わるものもあるし、再版が年月を経てしまうと組織、人、商品などのチェックを全部はやってられないので、分かっている範囲でマズそうなところだけを修正する。聖書のように2000年近くを経ているコンテンツでは何十年に一度というペースでいまだ改定が行われている。20世紀では差別語やらい病の表現などが改められた。本来は情報は社会環境・文脈が変化すると補正が必要なナマモノ・生き物なのだが、紙の本は情報の記念碑のようになりがちである。
電子書籍でも内容を固定化してしまうのがよいのか、Webのように随時更新するのがよいのか、という議論がある。これは一概には決められないが、更新する必要があるものは、そう出来る時代になったことはいえる。しかもそれはWebなどの専売特許ではなくなり、電子書籍はそういうデジタルメディアと競合していかなければならないことでもある。これは編集の仕事を根本から変えてしまうものだ。正誤表でも再版でも修正はまとめて行うものでサイクルは長いから、制作・印刷の外注で対応できるが、WebならCMSで編集者が随時変更できるものになるからだ。
こういう種類の編集は紙メディアでもずっと行われている世界もある。地図出版などは道路も地上物も刻々と変化していくので更新が命のコンテンツである。旅行も人物も会社情報もみんな変化する情報なので、本来ならそれぞれのコンテンツの特性に応じた編集体制をとるものであって、出版の世界でも特化して発展してきた。しかし実際に更新の現場というのは編集プロダクションであったり、外注先であったりして、編集部と切り離されている場合もあり、出版界に居たひとはそれが当然であると考えてしまうが、そこが弱点になっている。
畑に種を蒔いてほっておけば農業ができるのではないように、植えたものや畑の世話を毎日のようにすることで、人から素晴らしいといわれるものを収穫ができる。コンテンツも誰かが毎日手入れをしてやらなければ信頼性の高いリッチなものになっていかない。それは、実際に畑に立って見なければ分からないことが多くあることと似ている。またそこから品種改良のヒントが得られたりするように、新たな商品・サービスや生きた情報の活用法も考えられるようになる。つまり出版にとっても企業内コンテンツであっても、データが発生し更新される現場に立つことが、ネットやクラウドでコンテンツ管理が行える時代には可能になる。そこから紙の印刷物の呪縛から解き放たれたビジネスが始まる。
別の言い方をすると、今まではメディア制作とデータ管理が切り離されていたことでデータがお蔵入りしがちであった。これは技術の進展としては次第に一体化しつつあるのだが、人間の方がほっておいては変われないという課題がある。しかし以上で抽象的に述べたことは、実はすでに実施しているところがあり、かつてはITの負担に耐えて大変であったのだが、デジタルメディアの世界では多くの可能性が開けて、有能な若い人材も集めつつあるといえる。このようにできないと高齢化とともに消え入るようなメディアビジネスになるだろう。
関連セミナー コンテンツのデジタル化でビジネス活性化 2011年7月1日(金)