投稿日: Apr 04, 2014 2:52:42 AM
ビジネス側からのルールつくりではおさまらなくなる
創作活動をしたからといって、それがビジネスにつながるものではない。ビジネスになるのは、注文があった場合であって、グラフィックデザインは基本は受注生産であろう。これは商業的な契約に基づく事柄が、創作の人格権的な事柄よりも優先すると思われる。
しかし誰かが勝手に絵を描いたり、詩を作ったり、歌を作っても、それだけでは商業的行為にはならないから、どこにも契約に関する書面は残らず、場合によっては作品だけが残ることはある。自費出版もそのようなものである。創作物の99.99%はそのように商業行為とは関係なく消えていくのだろう。
たとえ出版社や音楽産業の注文で作品を残しても、99.9%はあまり世間には知られずに、営利とは関係ないままになる。しかしこの場合は作品をつくっただけとか自費出版とは違って、一応その作品の存在は商業化に関係したどこかに記されていて、後の時代になっても追跡可能な状態になる。
ところが今日ではネット上に自由に作品の掲示が可能になってきたので、商業化しなかった作品でも YouTube、Wikipedia、その他いろんなところに記されていて、現状では検索サービスで呼び出すことができる。果たして未来永劫にこういったデジタルアーカイブは増殖し続けながらも、ずっと検索可能な状態でいるのであろうか?
もしネット上に永遠に作品データが残るものであるとすると、創作の人格権の扱い方も変えなければならないと思う。従来は商業的な作品が優先されていたのが、ひょっとすると私的な作品の権利が拡大して、著作権に関する法律やルールも根本的な見直しが必要になるかもしれないといく気がする。
コンテンツの流通に関しては当事者が生きている場合は権利処理がややこしい場合があるが、出版元も存在しなくなった古本や古レコードの類は、かえって自由に再流通をしだすことがある。音楽のケースでは欧米のクラブ文化に何度か触れたことがあるが、DJがどこからか幻の名盤を発見してきて、それを人々が聴きに集まったり、リミックスがされたりということが、そこそこの盛り上がりをみせている。キュレータの時代である。
こういうことが20年ほどは続いているのだと思うが、その間にネット利用も普及したこともあって、アメリカの昔の商業音楽に関しては相当調べつくされて、知られていなかった名作の元盤の値段が相当上昇してきた。今では過去のガレージ音楽が探究の対象になりつつあるように思う。
おそらく今日どこかに残っている過去のコンテンツについては、すべてネットでメタデータ検索が可能になるであろうし、それは同時に再発見・再評価につながって、埋もれていた0.1%が再流通する時代になるのだろう。ただし本人はもういないだろうから、お金にはつながらないが、創作者の名誉は相当の扱いがされる日が来るということである。