投稿日: Sep 25, 2014 1:53:54 AM
まだソーシャルメディアが登場した時の期待とか可能性とか楽観論は、1990年代初頭のインターネットの商用化の時と似ている感じだった。つまり過去10年くらいソーシャルメディアに託す希望が、新たなサービスやビジネスを始めるきっかけとなったことはよくあったと思う。その頂点はオバマ大統領の登場とかアラブの春であったように思える。
メディアというバーチャルなものにリアル社会を動かす力があるという幻想は昔からあって、「ペンは剣よりも強し」とか、市民革命における新聞の登場など、枚挙にいとまない。幾分は真実な部分もあるのだが、やはり行動を伴わないでバーチャルだけで変革というのはあり得ない。それは企業活動でも同じで、ネット以外の部分でも素敵なサービスをしなければ、ネットでいくら優位になっても成果は出ないだろうから、ネットに傾斜しすぎることは意味がない。
facebookは閲覧する人をコントロールすることができて炎上しにくいという仕組みなので、一見すると地に足がついたメディアのように安定してみえるが、それはトートロジーであって、外乱を排除しているだけなのである。だから対立構造があるようなところでは、どんどん内輪的なメディアになってしまって、意外に論理の積み重ねとか、強固な論理構築にはつながっていかない。要するに刺激が足りないメディアになってしまうのである。
これは別にfacebookに責任があるわけではなく、使う側がtwitterや他のサービスと組み合わせて使えば、十分刺激的な情報環境を築くことができるのだが、そういう使いこなし術は「デジタル・メディア・リテラシー」の領域で、かなり限られた人しかできていないかもしれない。つまり取材とか調査のプロのような人である。いろいろなソーシャルメディアと呼ばれるサービスが登場したものの、それらをうまく組み合わせる「デジタル・メディア・リテラシー」というのは、まだこれからの課題のようだ。
今後facebookを超えるようなサービスが出てくるのかどうかはわからないが、目標としては、リアルでFaceToFaceではギクシャクしてうまくコミュニケーションできないものが、ネットのコミュニケーションで解決するようなものが求められているのではないか。facebookも掲示板の変形のような段階から、オススメ情報を処理するようになってきたのだが、何らかの知識処理を掲示板に加えることで、コミュニケーションを改善するという方向である。
実は今日のECの成功は、広義のオススメの処理に大きく依存している。今では購買行動、商品相関、カスタマレビューそれぞれに多大なソフト開発とデータ処理をするプラットフォームの上でECは動いている。だからリアルの店舗のアルバイト店員よりはよほど的確なサービスができるのである。
そう考えるとニュースやコミュニケーションなどリテラル系サービスの改善は今よりもっとプラグマチックなアプローチを考えるのがよい。つまりテーマに関してWikipediaのようなものやニュースソース、アーカイブが横に出ててき、堂々巡りの議論が集束しやすいプラットフォームが考えられるように思う。
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