投稿日: Mar 11, 2016 12:28:7 AM
5年前の地震・津波・原発事故の経験は語りつくせないものであろうし、回復しようのない面もある。被災地を訪問した記事でも書いたのだが、整地された跡はまるで原爆投下の後のように、街が忽然と消えていたので、そこに立ってみると街があったことがどうしても想像できなかった。
この写真右は女川の病院(黄線の津波ラインと書いたところのレンガ色の建物)の周囲を写したもので、津波は山の麓の病院の1階部分まで来たとのことで、その右の白い5階建てビルが水没しているほどだから、町全体が波にさらわれた。写真左はその3年前に撮影されたGoogleStreetViewから該当箇所を探したもので、山の麓の病院と、その手前の緑の建物が両方の写真に写っている。
それぞれの地権者の立場では復元を願うもの無理からぬ話だが、他の地域も見てまわって、正直言って元の街の姿に戻すことは無理だろうなと思った。それは今よりも安全・安心に暮らすための将来に向けたインフラとか土台つくりをすることと復元とは矛盾があるからだ。ここは土地が数十センチ沈下して、満潮時には海面と沿岸の高低差が無いくらいになってて、土地を持ち上げて復元するコストは相当なものに思えた。
だいたい復元したいと願うのはお年寄りで、その方々は過疎化の中でも地元に留まった方だから、ある意味では尊重するべき点もあるのだろうが、過疎化対策としてはその地から出ていった人々が戻りたいと思うような街づくりをするべきだろうなと思う。すぐに戻ることは現実には無理としても、これから社会に出る若者のことを基準に街づくりを考えて、その地で生計がたてられて、一生暮らせるようなプランを若者のともに作るべきである。
もともと過疎で村おこし・町おこしなど地域振興が何度も試みられて、もうひとつ手ごたえがない地方が東北には多い。鉄道も赤字路線のところに、震災後に再び鉄道を敷こうというようなプランを作っても、実際は将来のためにはならない。過去の津波の経験からも、防潮堤兼用の自動車道路を作っておいたおかげで、震災の際も交通路が確保されたような例もあるので、やはり復興プランは前向きにあるべきだ。
この女川の場合、この病院近くに神社があって、そこは過去に災害を免れた場所として残っているので、病院立地を考えた際にそこを意識したことはあろう。今回も山の麓に病院を作ったのは過去の震災経験が活きた例だと思う。つまり復興は未来へのメッセージとして計画するのがよい。そういう意味でも地元の若い人(当時の中高生)の話あいが重要に思う。
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