投稿日: Nov 21, 2014 12:32:26 AM
印刷物を製造する過程で必要な、活字、凸版、製版フィルム、印刷版材などは製造にかかわる会社に所属するもので、印刷物の売買には含まれず、また発注者は所有しても意味がないものであった。制作工程がデジタルになっても中間生成物としてのデジタルファイルは制作にかかわる会社に所属することは変わりはない。ところがデジタルデータになると、発注者でも印刷制作データを他に流用したいとか、それを使って別のところに印刷発注させれば安く上がるのではないかとか、なんとなく持っていたい・持っているべきだ、などのように発注者の心が揺れ動くようになっている。
実際問題として、中間で生成されるデータとはAdobeのツールで扱うものであったり、CMYKに分解され特定の印刷にカラーマネジメントされたりして、そのまま発注者が活用できるものではないので、発注者が「中間データも欲しい」という場合は、そのデータで次回印刷する場合は別のところに発注しようという意図が見える場合が多い。そこで発注者と制作側との間に一悶着がおこる。最初から印刷発注の契約時に中間データの受け渡しに関する取り決めがあるなら、それに従うことが第一優先だが、何も取り決めが無かったなら印刷物以外にものを納品する必要はない。今の法的な解釈なら、中間データは制作した人のものだから、タダで渡す必要はなく、渡すとしても別途の費用をとるのがスジになる。
これは中間データの保管に関してもいえることで、契約時に特記されていないなら、制作側にデータ保管の義務はないのだが、次回発注を見込んで慣例的に一定期間は制作側が保管していてる。もしそれらが失われていても法的には弁償しなくてもいいのだが、再発注があればきっとタダでもう一度制作するだろう。つまり印刷納品にデータ制作は付随する業務であったといえる。しかしデータ制作と印刷は切り離して別の商取引にする方向で世の中は進んできた。データ納品を有料のサービスとして確立させることが解決である。
こういう関係は1980年代になってアメリカの出版界でも大きな話題になって、出版界がマークアップ言語ScribeとかGMLに着目し、SGML→XMLが誕生した。これによって編集済のデータを印刷発注者が持って、印刷用のフォーマティング(組版レイアウトとか整形)は印刷側で行なうという切り分けがなされた。出版側はタグづけされたコンテンツを自由に使いまわせるし、フォーマティングはその都度の業務になる。なにしろちょってでもデータに変更があるとフォーマッティングはやり直しになるので、フォーマティング後のデータを持っていても意味がないのである。
要するに、この問題を受発注双方間の攻防にするのではなく、両方にメリットがある方向にもっていったのがSGML/XMLであるのだが、日本の発注者は社内でタグづけされたデータを活用できるところが少なかった。それではデータ納品を有料のサービスとして認識してもらうことは難しい。だから、この堂々巡りから抜け出すタイミングは、発注者側のICT化の進展を見て判断することになるのだろう。
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