投稿日: Feb 18, 2012 1:25:27 AM
メディアは広告のためにあるのではないと思う方へ
皆さん毎日何らかのニュースに接しているわけではあるが、ニュースの性格上どうしても断片的な情報でしかなく、それらから重要な文脈を見出すという作業をどこかでしなければならない。雨が降るという話も雨が止むという話も個々には事実であっても、それだけ聞いていても気象図のようなものは思い描けない。つまり個々の情報をどのように構成するのかという知識と、個々の情報の変化で全体として何が変わるのかという知見がないと、情報は役に立たない。一般人が突然放射性物質の情報を聞いても、この両方がないために、ただただ不安を掻き立てられて、しまいには風評を作り出してしまうことになりかねない。
だからソーシャルメディアだけあればニュースは十分であるとか、ジャーナリズムはいらないということにはならない。もしそれが可能なところがあるとすると、そもそも大したニュースがない原始的共同体か、国民全員のインテリジェンスが高い理想の国であろう。つまり知識や知見の個人差とかギャップが埋まらないとすると、情報源と受容者の間に専門家によるキュレーションとか、意図を持った編集が必要不可欠になる。だから過去には出版のビジネスは可能になったが、今日それが低迷しているというのは、情報ギャップの認識が狂ってしまったからだろう。今でも金を払ってもどうしても欲しい情報はあるはずだが、そこを人々に提供しようという想いを持っている編集者が減ったのだと思う。
以前「もしドラ」の編集者の加藤氏のことを書いたことがあるが、ドラッカー云々よりもずっと前から100ほどのテーマの卵を温めていて、社会の状況・時代の流れに応じて順次羽化させるようなもので、たまたまそのひとつがドラッカーを引用することで表現できたということであった。今加藤氏は独立して、クロスメディア的な出版とかメディアを興そうとされているが、要は情報ギャップをどう捉えるかというのが、メディア作りの基盤であるということだろう。日本はジャーナリストの教育機関が少なく、メディア作りというと制作プロセスの話になって、メディアの社会的な位置づけを考えるところが弱い。
それは既存のメディアがそうなだけでなく、ネット上のメディアにも共通して言えることで、既存メディアに対抗したビジネスを考える際にはニュースを投稿してもらったて拾い集めたりして、人気を取ろうというだけではだめであろう。ネットでの情報発信はページビューやフォロワー、コンバージョンなどの数値だけで見ていても、それは現時点のことだけで、これからどこを目指していくのか、そこに正しく向かっているかということを見分ける指標とかレビューも必要になる。最終的には数値は伸びないといけないだろうが、社会に根付くメディアを志向することが必要だ。