投稿日: Apr 28, 2012 1:27:54 AM
既存ビジネスモデルの破綻を感じる方へ
ケータイ文化の特徴であったキャリアとデバイスとコンテンツのセットが崩れ、これからインターネットとスマートメディアの時代のようにいわれるが、それはデバイスの変化だけではなく、人々のコンテンツへ接触の仕方が変わるものであることを、記事『ビジネスの物差しが変わる』に書いた。だから旧メディアのコンテンツを別のデジタルメディアに移し変えるだけでビジネスが成り立つわけはない。音楽のダウンロードやeBookもそうであるが、それがこれからTVなど他のコンテンツも巻き込んだ、新たな楽しみ方がでてくる方向にある。
技術進化とともにコンテンツの楽しみ方が変わることは、紙の時代からあったことで、ポケットブックや新聞というのもその例であった。それが20世紀に入って電波媒体や記録メディアが発達し、コンテンツをめぐる大きなライフスタイルの変化が起こった。ところがその変化というのは統計的にはなかなか捉えられなかった。それはメディアに関する統計は縦割りで行なわれていたからで、テレビの出現で映画が喰われるのか、テレビで宣伝すれば映画館に人が来るのか、テレビで映画を放映すれことはビジネスとしてどうか、などはデータ化はされにくく、むしろ単純なデータよりも利用者の行動変化をつかまえることに努力すべきである。
ながら特性
ラジオやテレビの放送はいったん受信を始めると流れぱなしになり、そのままで新聞や雑誌を読む人も居れば、会話をする人、勉強をする人が居たり、複数コンテンツに同時に接触する「…ながら」を可能にした。だから最も長時間見られているメディアはテレビであるといわれても、その間は映画館に居るようには映像を見ていない。新聞は日本人の9割が目にするメディアといわれても、テレビをみながらパラパラみていて、真剣に目を通しているのはチラシだったりするかもしれない。こんな状況で、よくマーケティングの人がメディア戦略をもっともらしく語っていたものだと思う。
時空のワープ
電子情報とかデジタルの場合は記録が可能になる。カセットや留守録、パッケージメディアのセルやレンタルにより、放送のような全くの受身の視聴から、より個人の選択的な視聴というのが始まり、コンテンツ提供の時と場所とは異なるところで個人が楽しむという、縦割り世界から時空のワープをした利用状況が生まれた。これもマーケティング的にコンテンツを追いかけることをさらに困難にしたと思う。レンタルされたCDを誰がいつどのように楽しんでいるのかわからない状況でCDを出しつづけるというのは、ビジネス的にはどんどん危ういところに行ってしまうのではないか。
ユビキタス
Kindleに象徴されるeBookが紙の本と異なるのは、読みたいなと思った時点でコンテンツにアクセスして始められる点であるし、ダウンロードで無くてクラウドベースのサービスの場合はデバイスを変えてもログインすれば続きが読めるようなことが起こる。これはコンテンツの所有感がなくなるのでビジネスがし難いと考える人も居るが、それはコンテンツビジネスの仕方を販売ではなくサービスの提供というように発想を変える必要があることを意味する。eBookに関してはもうモデルができているので、それ以外にビデオなどをこういったビジネスにするには何が必要か、というのが今のスマートTVの課題でもある。
どんなコンテンツにもいつでもアクセスできるユビキタス時代に向かっているわけで、インターネット時代の幕開けの牽引車が検索エンジンであったように、個人のライフスタイルに合ったコンテンツの楽しみ方が簡単にできるエージェント開発が大きな課題になるだろう。