投稿日: Apr 06, 2015 1:48:23 AM
日本にいろいろ解決すべき問題があるとすると、それは外国から何か打ち出の小づちのような方法を輸入するとか、ITを含めて何か発明すれば解決するということは考えられない。特に先端技術とかを持ち上げる記事では、「これで…解決」という論調になりがちだが、例えばeJapanが発展途上国よりも遅れてしまったように、導入・運用をする日本の内側の課題にもっと目を向けなければならない。
硬直化して機能不全に陥った社会制度を改革することが難しいのは、青写真を作ることが難しいのからではなくて、硬直化した制度を支えてきた人々の価値観を変えることが難しいからである。
アフガンとかイスラム原理主義のニュースで女性に教育を受けさせないとか差別の話があったり、インドでカースト制が残っているところでもすごい女性差別があったりするのを聞くと、彼の国々に西欧と同等な社会制度を持ち込んだだけでは社会がよくならないことにジレンマを感じる人は多いだろう。つまり未だ彼の地の人々の価値観には因習的な要素が残っていて、それが合理的な社会制度の普及を妨げていると思うはずだ。
しかし日本のこととなると、日本人の因習的な価値観を何とかしなければならないというように議論は進んでいかないのはなぜだろうか?
通勤ラッシュを緩和するのに鉄道の新路線をつくったり、車両の増発をしてきたわけだが、それよりも会社の始業時間をシフトするとか勤務体系をフレキシブルにしたほうが、金をかけずに改善できるわけだし、社会的に見て交通システムの運用効率も向上する。
そのような調子で、不妊治療に多大の投資をするよりも、養子縁組を容易にした方が社会は円滑になる。健康保険のかなりを終末期医療につぎ込んで保険制度が揺らぐよりも、死に対する見方を変えて、自然死を受け入れるようにした方がよい。とはいっても、日本人の根にある感情がそうはさせないのである。
しかし日本の社会を文化的にも成熟化させていくには、イスラム原理主義やカースト制に通じるような、近代の人権思想に反する要素を、伝統文化の中から点検する作業が必要になるだろう。今年は太平洋戦争敗戦70年ということでいろいろな企画があるようだが、日本を一億玉砕の戦争に向かわせた「何か」を検証することは未だに不十分な気がする。
日本の近代史・現代史にもいろいろな考え方があるだろうが、日本人が避けてきた合理主義というのが現代の不幸の元になっていると思う点は多い。日本人の心の内の合理主義に馴染まない部分には、ニセ科学のようなインチキが入り込みやすいからである。
テレビ討論などの多くの場合に、青写真の長所短所の比較をするのだが、それは素人が口をはさむ領域ではなく、信頼できる専門家に任せるしかないことである。原子炉の構造がどうでも、残留放射能の検出方法がどうでも、それを素人に説明して是非の判断をさせることはインチキ極まりない。素人がテレビを見てコラーゲンがどうとか、シジミ成分がどうとか、グルコサミンがどうのという話しのレベルに社会制度をかみ砕くプロセス中に、いくらでもインチキは仕組めるし、ニセ専門家も多く登場している。本来なら非常に高い教育を受けたエリート層が、インチキで素人を騙しているところを暴くはずなのだが、そういうノブリス・オブリッジが効かないことも、何か日本に潜む原理主義が関係していると思う。
Top → Articles デジタルメディアビジネスの記事 過去記事→Archive