投稿日: Nov 27, 2013 1:40:52 AM
逆風の中で
デジタルメディアがもたらすものを過去20年ほどの経験から考えると、アナログメディアのビジネス経験が通用するのはマスに大ヒットするものだけであって、今までマスメディアを模倣して行っていた準マスな市場を相手にしたところのものが立ち行かなくなってきたことである。その典型が雑誌であったのだろう。雑誌の凋落はあらためて述べるには及ばないが、自分がやっていた時の経験でも広告のお蔭で喰わして頂いていたのが実態で、自立したメディアとは言い難いものであった。ビジネスの専門誌の場合はステークホルダのコミュニティを形成するのが雑誌であり、かつ広告も重要な情報なので、やせ細りはしても雑誌の生き残りはあるが、一般誌の場合は恒常的なコミュニティを構成する必要が無いので雑誌にする意味合いは減り、エンタメのファンクラブのようなコミュニティがメディアをもつようになってきた。
このようにメディアに携わる人の数では圧倒的に多数である準マスなメディアの既成の枠組みが壊れてきたことで、新たなデジタルメディアの活躍が数多く見られるだろうという予測の元に、一般社団法人メディア事業開発会議というのを興して、またMediverse.jpというサイトも用意したのだが、この3年間を総括すると新たなメディアが興るよりも逆風が強くなって、多くのベンチャーが萎縮をしてしまったように思える。
もとより雑誌のような広告モデルはデジタルの準マスのビジネスには通用しないので、低額の有料化の道が整備されなければならない。それはECとともにできたといえばできたのだが、PayPalのような安直な支払い方法は日本ではキャリアの課金のようには広まらなかった。そのため決済機能を持つところにブラ下がる形でしかメディアビジネスは伸び難いようになっている。
知財権も準マスクラスの媒体が活動しやすいようにコンテンツが扱いやすい方向に進むのではなく、寡占化したマスメディアの守り中心に動いている。過去のコンテンツを再評価して再びビジネスの機会を与えることにはなかなかつながっていない。本当はCCのようなコンテンツに流動性をもたらすものが広まるのがよいはずなのだが。
つまりこれらの状況は、既得権の強化、すなわちコンテンツの流動性を防止する状況と同時に、お金や権利設定には抵触しないで利用者がアナーキーにメディアを扱う状況という、相対する世界を同時に作り出してきた。ところがアメリカのYouTubeはこの2つの世界をうまくつなぎ合わせるビジネスの仕組みをもっていて、勝手にアップロードされた楽曲を音楽ダウンロードの広告として使い、販売元から広告をとったりリンクすると共に、アップした人にも何がしかのリターンが行くようになっている。
これはデジタルとネットという新たな環境がもたらしたのはビジネス機会の増大と生活者の楽しみの増大が同時に成立することの一例で、他のコンテンツビジネスにもヒントになる。ところが日本のYouTubeにおいては、音楽会社は勝手にアップロードされた商業音楽をブロックするだけであるように、上記の2つの世界をつなぐビジネスモデルはなかなか離陸できないでいる。従ってコンテンツ関係のベンチャーの活動域は狭いのである。デジタルの上に新たなビジネス領域を興すという点では遠回りをしていることになるのだが。