投稿日: Sep 28, 2012 12:41:40 AM
コンテンツ立国を夢見る方へ
日本の大電機メーカーの凋落がよくニュースになるが、その競争相手を育てたのも日本のメーカーにいた人たちであったという関係がある。つまり日本のメーカーは社員の能力を経営を前向けにするのに使えなかったわけだ。本来なら日本メーカーの過去のノウハウを活かして、「開発は日本、製造はアジア」のような分業でWinWinになるのが望ましいところだろうが、日本では工場の雇用を重視しすぎて、アメリカが辿ったようなR&D型の会社に変貌できなかったのだろう。
昨今の日本の閉塞を打ち破るために個人の起業が奨められたりするが、電機メーカーで開発していた人がベンチャー企業して大きく伸びた例は少ない。これはもったいないことである。その理由は起業の支援をする構造が日本には足りないという面もあるが、個人の側もサラリーマン化し過ぎて自律した活動を苦手としている面があると思える。個人発明家は意外に増えていないのである。
逆に日本で個人が活躍しているのがサブカル分野で、初音ミクのキャラクタイメージは最初に数点が作られただけなのに、それらを見て勝手に画像、アニメ、フィギュアなどなどが20万点以上登録されるようになった。これらは2次創作ではあるが、個人の意識や頑張りが産業の底力になっていて、それが巡り巡って次第に世界に認知されるコンテンツを産み出すようになる。しかし世界に通用するような天才は滅多に出現しないので、実際のコンテンツビジネスとしてはリメイクが多くなると思うが、過去の日本のマンガにそのネタは多くあると思う。
ケータイの時代にコミックコンテンツが売れたが、スマホの時代にもう一度同じコミックが売れるかどうかはわからない。しかしそれらのストーリーやキャラクタを資産として考えればいいのであって、オワッてるという見方はまずいと思う。
このようにクリエーター予備軍は層が厚い日本ではあるが、メディア制作の方はまだ自律的なプロダクションが足りないと思う。紙のコンテンツの時代から旅やグルメとかグッズに関しては専門プロダクションが活躍していたように、この部分の層を厚くする必要がある。つまり編集者が自律してプロデューサ化するとか特定分野のコンテンツホルダになるとか、調査・校閲などを引き受けることができるようにならないと、紙の出版のようにどんぶり勘定の中ですべてを自分でしなければならなくなる。その場合の問題は、ワンソースのマルチユースがうまく出来ないことである。メディア制作が自立化すると、出版企画も自立できて版元の動きも軽快で俊敏にできるのではないかと思う。
では出版社の編集者が自律できるかどうかであるが、冒頭の電機メーカーの開発がサラリーマン化したのと似た要素はあるのだろう。しかし日本がコンテンツ立国を目指すのならば、編集者やプロデューサ・ディレクタの養成が最重要で、書籍100万点のデジタル化よりもずっと重い問題だと思う。
電子出版再構築研究会 名称:オープン・パブリッシング・フォーラム Ebook2.0 Forumと共同開催
10月17日(水)16:00-18:00 新しい出版マーケティングの時代