投稿日: May 09, 2013 1:13:45 AM
新しいジャーナリズムが生まれるかと思う方へ
ハフィントンポスト日本版についていろいろな意見が出ている。誰が書き、誰が読むのかとか、無報酬でどれだけの内容が揃うのかとか、ビジネスとして成り立つのかとか、どのように原稿をセレクトするのかとか、いろんな角度から突っ込まれているが、いままだ判定するのには早すぎる。おそらくあまりアドバルーンを高く揚げないでボチボチ試行しながらに日本流の運営を作り出していこうとしているのではないかと思う。
まだよちよち歩きのハフィントンポスト日本版に言うべき事があるとすると、もうひとつポリシーが表面に出ていないので、いろいろな憶測を生んでいるのだから、編集会議を公開してどんな人がニュースや記事の選別をしているのかを見せた方がよいということである。ジャーナリズムは記者とデスクで成り立っているが、ジャーナリズムとしてのブランドは基本はデスクが創り出すものだからだ。
ライターについては有名人であろうとも無名人だろうとも、右でも左でも、価値があるものは排除しないのが新しいメディアではないかと思う。アメリカの場合は新聞は地方紙中心なので発行部数は何十万部であり、しかも伝統的には民主党・共和党のどちらかの支持を明確にしているのが多い。それはメディアのコングロマリット自体がそうなているからである。これらに対して数は少ないが全国紙は中庸であったし、さらにネット時代になってからは、それまではどうしても民主党・共和党の旗色を鮮明にするニュースに触れていたのが、以前と違って意見の異なる記事に触れることが多くなったのではないかと思う。
記事『すでに始まっている未来メディア』ではアメリカにおいてネット記事へのコメントのつきかたについて触れたが、従来のマスコミが特定の考え方を広めるためのフィルタの働きをしていた(あるいは期待していた)のに対して、ネットメディアは反対意見を聞く機会を増やすことによって、自分なりに考え直す浮動票を増やしてしまったように思える。実はCNNなどを見ていても、CNNの側(あるいはプロデューサ)に一定の考えがある場合は、かえって逆の考えの人の登場を多くして、「あなたの考えのこういうところはおかしいのではないか」と突っ込むことがある。今ではCNNは銃規制派なので、規制反対の人がたびたび登場する。
つまりアメリカはメディアの役割としてはリアルな議論のネタ提供的な意味合いが強いように思うが、それにふさわしい内容は、有名人の決まりきった論評よりはやはりデスクの匙加減によって提供されるのだろうと思う。こういった民主主義の基礎となるディスカッションやディベートの習慣が日本とアメリカとでは異なるので、日本のハフィントンポストがどのような仕掛けを発明するのか、しないのか興味がつきない。