投稿日: Aug 08, 2013 2:14:17 AM
物販の先に何がある?
ぶ
AmazonのベゾスCEOがワシントン・ポストをどう建て直すのか注目されているが、そうはならないだろう。今の形態の新聞ビジネスが下降したのはそれなりの理由があってのことで、広告、購読、コンテンツ、編集・制作、のどれもが過去とは異なってしまったからである。一時的に新聞が持ち直すことはありえる。それは社会的な大不幸があった場合で、ブラックマンデーから戦争まで、人々は不安にかられていろんな情報を求めるようになるからだ。逆に言えば幸福な社会における新聞とは、スカスカの曖昧なものでしかない。
アメリカは世界のいろんな紛争に首をつっこんできたがために、新聞ネタには困らなかった。湾岸戦争の時は戦勝気分に満ちていて、地方の新聞でも地元兵士の帰還を英雄のようにカラー写真で扱っていたりした。そこ頃私はAmerican Newspaper Publishers Association (ANPA) の大会を毎年取材していた。ところがこの冷戦後の時代にANPAは新聞広告の団体と合併した。ANPAは編集・制作側の団体であったのが、新団体NNA(National Newspaper Association)は経営上広告を重視するようになって、さらにアメリカの新聞は伸びた。その頃はテレビとの競争で、新聞は情報量を増やして、カラー増・インフォグラフィック化などビジュアルも改善して、決してテレビには負けなかった。
つまりニュース主導から広告主導に変わったのである。日本の新聞紙面に広告は半分以下しかないが、アメリカは紙面の3分の2くらいが広告になっていた。これが日本とアメリカの新聞の明暗を分けるものとなった。アメリカの新聞広告は日本で言うところの情報誌に相当する部分と、チラシに相当する部分が多く、前者はCraigslistのようなネットの媒体に奪い取られた。そこで後者に比重を置くことになるのだが、どんどん紙媒体をつくっていた小売業に異変が起きた。広告だらけのPC雑誌がいくつもあったのが絶滅したように、ネット通販がPCを中心に盛り上り、遂にはAmazonが靴を売るくらいに小売にECが浸透したのである。広告への依存の高いアメリカの新聞はゼロ年代後半からひどい打撃を受けるようになった。日本ではECの浸透が少し遅れたとはいえ、広告依存がアメリカほどではなかったがためにまだ新聞が持ちこたえている。
アメリカの新聞界がANPAからNNAに変わった時点でヤバいものを感じた。ちょうどネットの勃興期でもあったので、新聞社も対ネット戦略・戦術に熱心で、私としてはいろいろ勉強させてもらったわけだが、勉強すればするほど新聞には勝ち目がないな、と思った。しかし新聞社はテレビに負けなかった勢いでネットも手がけていったが、所詮特定地域にだけ基盤を置いた新聞ビジネスモデルなので、ネットとはいってもやはり他地域に進攻していくようなものは考えられず、CraigslistやebayやAmazonといったボーダーレスのサービスに勝るほどの開発はできないのである。(これ、日本語電子書籍についても同様)
ECは小売業の多くとメディア業を衰退産業にしながら伸びたと思われるであろうが、見方を変えるとECは購買プロセスの中に仕入れの最適化と情報提供を合体させたものであるともいえる。だからこの2要素の無いECは伸びないのである。生活者からすると小売業もメディア業も必要なものを調達するためのステップであるということだ。ここらへんの見方は既存のメディア業には判り難い話であると思うが、ベゾスはこういうことを考えるのが得意な人であると思う。
Amazonが出版社を始めるとか、ベゾス個人がメディア業を持つというのは、ECの勝利宣言のようなもので、彼はその後のビジョンを得るための実験場として、ワシントン・ポストを観察しているのではないかと思う。彼にとってはこの買収は資産の1%を投じた程度のものであるが、それでメディア人としてワシントンで活動できることも大きなメリットだろう。それはワシントン・ポストの再建のためのロビー活動に向けてではなく、他のメディア業との関係を作るためであろうと思う。(続く)