投稿日: Jul 18, 2011 11:45:12 PM
議論のすれ違いを感じる方へ
原子力発電は社会に定着するのか排除されるのか? 日本のような原子力の被爆国が原子力を容認する社会になるには膨大な努力を要したはずだ。アメリカが日本の敗戦後を考えるための研究をしたものとして「菊と刀」があったが、原子力発電も同様な国民性の研究があったはずで、シンクタンクを動員して総合的に戦略をたてたと考えられる。つまり国の原子力政策を認めさせる仕組みは非常に高度なものがあり、特に政治家・学者・マスコミ・文化人など人目につく人に関しては一人ひとりチェックされて、それぞれにふさわしいアプローチで対応をすることで、何年にもわたって原子力協力者に変えていく努力が続けられた。
だから少々事故があっても(東海村の臨界とか)原子力政策が復元できるようになっている。しかしそのようなメカニズムで反対意見を押さえ込めるのだという力の過信も起こっているように思う。これを支えてきたのは主としてマスコミを通しての情宣活動である。原子力関連の国の外郭団体だけでも何十もあり、また電力会社やそれに関連した会社や産業の団体などが、それぞれ原子力政策理解のために使っている調査・広報・広告の予算を総合すると、年間いくらくらいになるのか具体的には知らないが、巨額の費用が動き、原稿料・調査費・広告料などでマスコミを潤しているのだろうと想像する。金額はともかく、日常的にこういったアプローチがある中で、前述のオピニオンリーダー対策がされて、原発のメリットを理解させてきた。
今のネットの書き込みでは原発推進派と反対派に分けてしまうことが多く、対立的に見ているが、反対派であっても信念を持っている人か、付和雷同的な人かによって、当然議論は異なるし、その結果意識が変わることはある。堀義人氏が「なぜ反原発と叫ぶのか」分析というのをネットに挙げていたが、
①電力が経済に不可欠なことを理解できない。
②自らがどうやって給与を得ているのか(経済の重要性)がわからない、
③原発が最も命に優しい(死亡者が少ない)ことを知らない、
④政商となり補助金を得て儲けたい、
⑤この機会に人気を上げたい、のどれかだ。
というカテゴライズで、この①~⑤のどれも条件次第では原発反対でなくなるものと考えても良い。つまり堀氏の視野には核開発そのものに反対の人なり意見というのは全然ないことがわかる。しかし幼子をもつ母親のほとんどは人工放射能による体内被曝とか将来の発病を恐れていて、それに対する説明は上記のような議論からは出てこないので、例え孫氏と堀氏の議論がどのようになろうとも、何の参考にもならないと思う人はかなりいるだろう。
つまり世界的に見ても電力需要とか発電の経済性という議論ですまないところに来ているのが今日であって、それは一見非科学的と思えるような人の本能的な恐れに基づいているとしても、本能はミームとして働いて本能に即した方法や社会システムを発展させていくことも考えられる。それは社会のいろいろなものが環境保護やエコシステムという点で制度変更されてきていることからもいえる。コミュニケーションシステムもその一環として従来のマスコミ主導の上位下達型からソーシャル型に比重を変えつつある。
産業革命を起こした蒸気機関の延長上に核エネルギーもあるわけだが、今日の原発推進を駆り立てるものは経済メリット以外に何かあるのだろうか? 原発を進めるミームはあるのだろうか? 経済メリット重視は戦争に代わる大国間の競争というところから来ているだろうし、それに科学技術も奉仕してきたわけだが、科学技術が環境・エコに奉仕するように変化するならば、むしろ小国なり小さい経済圏で円滑に社会が機能するための技術が発達する。私は人のミームはそのような方向に進んでいる気がしているので、原発の推進はミームにあらがっているように思うのだが。