投稿日: Apr 18, 2012 1:25:29 AM
本を売りたいのか、本を作りたいのか、迫られていると思う方へ
アメリカで職場からプログラムを持ち出した人が窃盗で訴えられていたのが、プログラムのコードは財にあたらないとして無罪になった。職場では何らかの職務違反に問われるのであろうが、刑事罰になるようなものではないらしい。この判決で面白かったのは、企業の側が何も失っていないではないか、という判断である。つまりあちらにあった財が、こちらに移って、元のところから無くなったということではない。それはデジタルデータをコピーしたものだから当然といえば当然だが、このように考えるとデジタルコンテンツはすべて財ではないといわれているのと同じである。
実際にいくらでもコピー可能な無体物であるデジタルコンテンツは金を払って買うものではないだろうという考えは日増しに強まっていると思える。これはビジネスが成り立たないということではなく、売買ではなくサービスになるという意味で記事『無体物のコンテンツにお金は払われるか?』は書いた。つまりNHKの受信料や映画館の入場料のようなものがネットでどうやって設定するのかという課題である。
著作物をダウンロードするとかファイルシェアすることの違法性が問題になるが、こうした利用をしている人は違法という意識は無く、むしろ図書館の利用とか友達との貸し借りの延長のような感覚であるといわれる。だからeBookにおいても期間レンタルとか電子図書館というモデルも考えられる。つまり紙の本のように財であった時代の法的根拠で、ネットでも同じビジネスモデルを押し通そうというのは、次第にほつれが目立ちだしているのだから、利用者が利用したいことを実現してながらお金も払ってもらえる工夫が求められる。
いずれにせよ、例えばeBookならたまたまテキストデータが紙の出版時代と同じであるというだけで、デジタルコンテンツのビジネスは白紙から出直しに等しい。しかもパートナーや競合も今まで知らなかったところになるので、今までの出版でも音楽でも関係者と阿吽の呼吸でロクに契約もしないで付き合っていた仕事のやり方は通用しなくなる。これは言い方を変えると今まではあまり経営を考えなくてもよい環境が出来上がっていて、よい中身さえ作ればレールの上を走れるようになっていたということでもあろう。
現実を見ると過去の出版社の中でこういった新創業に耐えられるところは多くは無いだろうから、出版デジタル機構のようなものが考えられたのであろうが、知恵の出ない者をいくら集めても野望に満ちた会社には対応できないことは、マイクロソフトでもGoogleでもAmazonでも、見てのとおりである。むしろ出版人はこういったビジネスがやりたいわけではなく、著者の作品を世に出したい想いがあるのなら、売ることよりは著者の代理人としてビジネスを考えた方がよいかもしれない。