投稿日: Mar 10, 2012 12:50:20 AM
日本は無責任集団だと思う方へ
3.11東関東大震災のあとで、子供の通う学校でも緊急連絡網の見直しがあって、それまでは電話による伝言ゲームをしていたのが、それでは緊急時に情報が徹底して流れないから、業者に依頼して一斉同報ができるようにすることになった。そのめの電話番号の登録や通信テストが行なわれたのだが、半年たっても未登録未確認の人がかなりいた。緊急連絡網も緊急にはできないものだった。既存のバケツリレーでの情報伝達に問題があることは学校側も保護者側も異議はないが、具体的にどうするというところが異常に遅いように思う。
これは今まで日本中に広がったの民主主義的な話し合いによる合意という方法が制度疲労を起こした結果だろう。このプロセスを重視するあまり、目的が曖昧になってしまいがちだ。誰か個人の意見が突進してしまうことを防ぐことが、目的の遂行よりも優先されてしまう傾向があって、決め手になるようなよさそうな意見があっても、「でも…」「もし…」という他の選択肢も一通り話しきらないと、民主主義的なプロセスを踏んでいないから、結果にもし芳しくない点があったとしたら、決議のやり方が問われることになる、というような回りくどい考えをする人がいる。
一方で中国でも韓国でもリーダーシップによる集団行動をする人たちは、決めたら実施が早い。しかし問題があったらリーダーは失脚する。だから無駄な手も打つかもしれないが、それを終息させるのも早い。いろいろと政策が変わって失敗も多いが前進する面もある。それは最初に工業生産の分野で成果を上げていて国のインフラ作りになるとかおさまっていく点と、輸出産業などにトライアンドエラー分野が移っていき、次に国民生活のような内需に焦点が移っていく。日本はこういうサイクルは一通り終わっていて、少々無茶をするタイプのリーダーが活躍できる場所が少なくなってしまったのかもしれない。
ヨーロッパの活力低下に対してアメリカはいつもフロンティア精神をよみがえらせて活力を注入してきた。今のIT分野もそうである。鄧小平の先富論も似たようなものである。これは成功して今の中国を作り上げたが、中国がやったから共産主義の一党独裁によるものという考えは違うと思う。というのは共産党支配ではないシンガポールも同じようなことをしてきたからである。どうもこれは華人の特徴といえるかもしれない。ところが和を持って尊しとなす国ではリーダーの独走も好まなければ、泥をかぶることはやりたくないということで、結局は無責任集団になりがちだということを、この1年で改めて感じた。