投稿日: Feb 25, 2015 2:17:26 AM
身近に大学受験生がいるので、日本の大学受験を巡る状況がいかにバカバカしいか、日々怒りを鎮めるのに大変な思いだ。何がバカバカしいかというと、前時代的な感覚の親と、受験料で稼せごうとする大学と、大学の水準向上を図らない文科省である。子供を取り囲む3バカが状況を膠着させてきた。この奥には少子化という難問があるのだが、少子化が起こるのは20-30年も前から分かっていたことで、要するに3者とも本質的なことには目をつむってきたのだろう。
親は子供の就職のために「どこかの大学に入れなければ」と考えるのだろうが、偏差値50以下の定員割れを起こしている大学を出たところで大企業への就職が困難なことはニュースを見ればわかりそうなものだ。それよりも子供自身が自分の将来を考えた場合に興味が持てそうなことや、やりたいことを見つけることの方が重要である。それは大学や学部選びにつながる話ではあるが、そういう具体性を追求するのではなく、もっと漠然としたものでいいから向き不向きをを客観的に考えるべきである。
私立大学そのものは合格者の偏差値で評価されるので、偏差値60以上の大学でもいろいろなトリックを用いて数値を上げているが、一方で推薦枠を広げるとか高校からの持ち上がりで学生の確保もしている。一般受験は偏差値の数値を作り出すために行われているのではないかと勘ぐってしまう。高校の方も偏差値の高い大学に推薦で入れる「枠」をいくつももっていることが生徒を集めるのに有利なので、偏差値トリックは蔓延するようになったと思う。
大学の許認可をしている文科省は、大学の質をどう考えているのだろうか? 偏差値の高い生徒を採っても、大学卒業時には気の抜けた凡人になって出ていく大学が増え続けてきたわけで、海外から日本の大学に入学したいというような評価は気にしていないと思われる。アメリカからの留学生が1500人程度で中国からは9万人という数字が物語っている。
日本人がノーベル賞をドイツ並みに取るようになったものの、その方々が大学に居たのは30年も40年も昔の話で、高等教育の社会的効用が明らかになるには何十年もかかると思われる。つまり何十年先の日本の在りようを考えて大学制度を作るべきなのだ。
今までの教育行政には、「世界に冠たる、何々立国」というものが無いまま重箱の隅の制度改革しかししていなかったように思える。少子化のように自明なことに対応できない組織は、ビッグデータ云々などはおよそ無縁であろうから、欧米の先端で研究している大学との差は開いていくのかもしれない。
Top → Articles デジタルメディアビジネスの記事 過去記事→Archive