投稿日: Oct 25, 2012 1:8:15 AM
本造りが面白かったという方へ
紙の本を作っていたときには、どうしてあんなに余白の設計を一生懸命していたのか、思い出せないほどだ。記事『デジタルデバイスのレイアウトデザイン』では、タブレットの縁や余白がメディア設計者のコントロール外になりつつあることを書いたが、以前は書籍のデザインレイアウトの意匠権というのも出版社のものであるといわれた部分である。版面の設計に知的財産権があるとして、真似た真似ないと争われた。今日的に言えば出版隣接権として紙面のコピーを防ごうとしているのはこれと関係していると思う。しかし紙の本においてデザインレイアウトに掛けた努力の結果は、紙の上でしか再現できずに、画面ではたとえjpgであっても余白も含めたデザインというのは再現できない。
紙の場合の版面設計は実は何重ものデザインを重ね合わせたもので、単なる矩形の中にどう文字列を置くかというものではない。動的な点では、表紙→目次→扉→本文書き出し→本文連続→注、という利用者の辿る道筋を想定して、本文に導いていくものである。だからこれらは個別に独立しているページではなく、造本設計として一連の考え方が必要になる。特に情報量が多くなる辞典・事典ものは、分類→個別情報 という流れがデザイン上でも考えられている。
本文であっても矩形の1ページではなく、右ページ、左ページでは余白がシンメトリーのようになるし、同時に見開いたときの余白や目の移動というのを考慮した紙面デザインになっている。これは版面サイズの大きさの変化とともに、見開きをひとつの視野と考えるか、ページの独立性が強いのかが変わってくる。当然版面が大きくなると多段組になるので、文字の並びと流れに関してデザイン上考慮すべきことは増えてくる。だから造本設計は出版社のノウハウが詰まっていると主張していたと思う。
しかしタブレットのようなページ中身を切り取って見せるようなものでは、以上の多くのデザイン要素が当てはまらない。だいたい段組はしないし、見開きもあまり意味がない。辞典・事典のような情報のツリー構造を辿るところは検索・リンクになってしまって、パラパラめくって行きつ戻りつすることをデザイン上で考慮する必要もない。逆にパラパラめくるアナログ的な情報の辿り方を発明しなければならなくなっている。その意味ではタブレット上の表示や操作はまだ完成したものではない。しかしそれは嗜好的面白さよりは合目的的に進むだろう。
つまりタブレット上のレイアウトデザインは紙の版面設計に比べて足りないということではなく、文字を読むということではシンプルになるということで、それまでの紙の本に費やしていた労力が不要だというのが大きな特徴だろう。どこまで読んだかというマーキングやソーシャルリーディングなどのデジタルの付加機能は、利用者にすぐには訴求しないが、徐々に認知されて、紙の本よりも便利と思われる日は来ると思う。しかしいつまでたっても嗜好的な価値は紙の本のようにはならないだろう。紙の本は合目的的というよりは嗜好的であったがために本造りが面白かったという面もあったのだが…